春を迎える四日野ガーデンで。

今日は小学校の屋上にある畑、
四日野ガーデン
野良作業をしてきました。


育った作物を収穫して土をならしたり、
雪で崩れたりした鳥よけを直したりと、
なんやかやで1時間半ほど。


四日野小に通う子のママさんや
近所の人などがガーデンのメンバーに
なっているんだけど、寒くなると
参加者がぐっと少なくなる。
今日も私を会わせて二人ほど。
あったかくなったらまた参加者増えるかなぁ。


来年度からは、
熱心に土に取り組んでいた人が
引っ越しでいなくなってしまう。
もうすぐ春だし、どうしよう…。


有機農業をやってる人に
畑に来て指導してもらったり、
新しいメンバーにがっつり入ってもらったり、
ちょっと、ちゃんと考えたい。
せっかく、いろいろできる畑があるんだからね。


不動前に土曜の午前中通えて、
農業に興味のある方、
都会にいながら農力を上げるチャンスです。
いっしょにやってみませんか?

「お金を持ってる人しか見られない夢なんてウソだね」


月刊サイゾー9月号の第二特集は
「黒いビジネスで稼ぐディズニーランド裏ガイド」。


土地転がしによって莫大な不動産利益を得たその開業時から、
非正規雇用中心のオペレーション、裏社会との癒着、
そして偽装食品など、ディズニーランドの
裏の顔が詳しく書かれている。


そもそも、ディズニーランドは好きではない。
よくつくられたハリボテだが、ハリボテはハリボテだ。
そこにいるだけで何も考えなくても楽しいような
気持ちにさせる人工的な夢の空間にいると、
主体性を奪われたような脱力感を感じるのだ。


しかも、高い。入場券と一日の食事、
そしてその都度買わされるおやつなどを入れると、
かなりの出費になる。


今年の夏も、
息子にディズニーランドに連れてってとせがまれた。
お父さんはディズニーランドは嫌いだ、と言うと、
息子は「お父さんは夢がないなあ」と呆れた様子。


もう大きくなったから、正直に話そうと思った。
実はね、あそこに行くとすごくお金かかるんだよ。
こんだけ、こんだけ、こんだけ、と金額を教えた。
お父さんは本物の自然とか芸術とかを体験するのに
お金を使うのはいいけど、あんなハリボテの国に
そんなお金は払いたくないんだよ、とぶっちゃけた。


お父さんはわかってないなあと言われるかと思った。
でも、意外なことに、息子はすぐに何かに気づいたようだ。
「お金を持ってる人しか見られない夢なんてウソだね」。
で、春に行ったからいいか、とすぐにあきらめてくれた。


一生行かないとは言わない。
せめて、年に一度でいいかな。
そのかわり、また山に行こうか。

ゼロ、いや、マイナスを前提として、いかに豊かに、たくましく生きていくか… ●南相馬で聞いたこと、見たこと(4)


翠の里をあとにし、向かったのは、二本松の農家レストラン季の子工房」さんです。季の子工房さんとの出会いは、選挙フェスが行われたアースガーデンの会場でした。「福島フェス」として、福島の物産を売るブースのひとつとして出店されていたのです。パンやワイン、ジャムなど、私が目がないものたちが並んでいたので声をおかけしました。


そこで聞いたお話が印象的でした。もともとなめこ農家だったそうなのですが、原発事故の影響でいったんなめこの販売を止めざるを得なくなり、再起にあたり、ただ農作物をつくるだけではなく、加工から流通までじぶんたちでチャレンジする「第六次産業」としての取り組みを始めているとのことでした。


季の子工房さんは地域自立ということにこだわっていて、DIYのソーラーや薪などを積極的に使っているとのことでした。ソーラーは停電のときには役に立ったけれども、夜間など太陽が出ていないときは電気がつくれず困ったそうです。そこで再生可能エネルギーを地域でつくって貯めて使うというR水素のことをお話ししたところ、興味を持っていただけました。そしてその日は「機会があればレストランにうかがいますね」と別れたのでした。



それからほどなくして訪れた季の子工房は、とても素敵な場所でした。その日は雨だったのですが、猫たちがくつろぐウッドデッキで、ご家族みんながあたたかくお出迎え。料理を待っている間、なんでも自分でやってしまうというお父さんとお話ししました。スマートな感じの方なのですが、お話をしていると精神的なたくましさを感じます。なんでも自分で考えて、自分でやってみる。そんな静かなインディー精神がカッコよかったです。



放射能のことも核種から健康への影響までをよくご存じで、なめこ栽培も独自の工夫で再開されました。放射能原発については、その危険性を日本の人が知らな過ぎることに危機感を覚えておられ、フランスで使っているという原発の教育ツールも見せていただきました。エネルギーの問題も、グローバルな視点から考えておられ、なんと気候変動の国際的な会議に、農家という立場で出席されたそうです。いまの日本で進められている再生可能エネルギーが送電線に依存する売電モデル一辺倒だということ、化石燃料に頼ることでの環境への影響など、R水素ネットワークが訴え続けていることをお話しされていて驚きました。



東京では、R水素ネットワークの代表であるハルさんの発言はエキセントリックに聞こえます。命を優先すること、地球市民として考えること。その結論として、R水素があるという話は、東京ではなかなか通じません。命や地球という話をすると、おおげさに取られるようです。質問もとかく、コストやベネフィット、リスクやリターンの話が多く、「現実的ではないね」と片付けられてしまうのです。ところが南相馬でお会いした人たちにR水素は、「命を傷つけないというのが素晴らしいですね」と、細かい説明をせずに受け入れていただけたのです。いつもはハルさんがグローバル、そして宇宙的な視点から話をして通じないところを私がフォローしたりするのですが、南相馬ではその必要はまったくありませんでした。お父さんとは、いつかこのレストランもR水素にできるといいですね、という話で盛り上がりました。




お話をしている間にも、お料理が次々と運ばれてきます。サラダ、スープ、パスタにデザート。どれもひと工夫凝らした深いおいしさ。ひとり1500円でいただくのがもったいないクオリティでした。オプションで頼んだなめこピザも最高でした。


お腹いっぱいでの帰り道、今回南相馬でお会いした人たちの顔を思い浮かべては胸が熱くなりました。どの方も、決然としているというか、すっきりとした顔をされていました。迷いがない姿勢で、自分の頭と手で生きている。このところ日本でも気候変動の影響が出てきていて、どう生き延びるか、ということが一人ひとりに問われる時代が来ているように思います。そう考えると、未来のライフスタイルというのは、東京ではなく、南相馬にあるのかも知れません。ゼロ、いや、マイナスを前提として、いかに豊かに、たくましく生きていくか。今回の旅は、そんなことを本気で考えるきっかけになりました。

「田んぼを奪われたんです。仕事と生き甲斐を奪われたんです」。南相馬で聞いたこと、見たこと(3)


翠の里に帰ってからは、夕食。地元でとれた旬の野菜に、お父さんが仕入れた新鮮なお魚。お腹いっぱいになったあと、小倉さんご夫婦とゆっくりお話ししました。お父さんはかつてスーパーにバイヤーとしてお勤めで、何度かの転勤を経て、南相馬Iターン。地元のスーパーに鮮魚担当としてお勤めでした。それが原発事故の影響でスーパーを解雇になったとのことです。奥さまはIターンされてから農家レストランをはじめられ、後に農家民宿をするようになったとか。いまは二人で畑をやりながら民宿をするという生活をされています。


奥さまは、原発でご主人が解雇されたことも、不幸だとは思っていないとおっしゃっていました。いま民宿をして色々な人とお話しすることができるのが楽しい、ここでいろいろな人たちがつながって活動が広がる様子とかを見ていると幸せだとおっしゃいます。お話をしていて印象に残ったのは、震災直後と、1年たってからの心の変化です。


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地震が起こってすぐのころは、お金なんかいらない、助け合って生きていければそれでいいと思った。でも1年たったら、やっぱりお金は必要だと言う人が多くなった。ギラギラした目をたくさん見るようになった。でも、もういちどあのときの気持ちを思い出してほしいんです。


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この言葉に、翠の里を続けていらっしゃる想いがこもっています。忘れないでほしい。思い出してほしい。震災で失った大きなものを忘れないでほしい。いまも傷ついている人たちがいることを忘れないでほしい。そして、お金よりも、命や助け合いの気持ちが大切だということを思い出してほしい。そんな願いを込めて、南相馬に留まり農家民宿を営まれているのだと思います。ご主人からは、残った人たちの気持ちを聞きました。


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国のことも東電のことも信用できない。地震があってからしばらくして、「福島第一原発が爆発しました」と放送があった。それから数時間して、「先ほどの放送は間違いでした」という放送が流れた。本当に、国も東電も信用できない。


日本中で原発反対運動が起こっていると聞いて驚いた。こんな事故が起こったら、原発はやめるのが当たり前だろう。それなのに変わらない。運動をしなければいけないとうのがおかしい。


原発事故の補償金をもらっている人がパチンコに行っていることを非難する人たちがいる。でも、農家の人たちは田んぼを奪われたんです。仕事と生き甲斐を奪われたんです。何をしたらいいのかわからなくなる人もいる。そのことをわかってほしい。


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こういうことは、なかなか地元では言えないそうです。原発から仕事をもらっていた人もいるからです。よく、安全なところから反対運動なんかするもんじゃないという声も聞きますが、安全なところにいるからこそ、声を出せない被災地の人たちのために声を上げ、運動をしていかなければいけないじゃないかと思いました。

ひとしきりお話をしたあと、お風呂に入り、お布団へ。清らかな風を感じ、虫の声を聞きながらの睡眠は、街での暮らしでたまった疲れとストレスをすっかり癒してくれました。


翌朝はハナちゃんの散歩をしながらお父さんの畑をぶらり。そして、お野菜たっぷりの贅沢な朝ごはん。


そのあとは稲わらを使ったワークショップ。材料費300円で、こんなにかわいいお馬さんができました。


あたたかいおもてなしとおいしいお食事、そして貴重な話が聞けて宿泊費はなんと5500円。震災のことを忘れないためにも、自分をリセットするためにも、また訪れたいと思います。

「地震が起きてすぐ、大阪の気象台から出された津波予測は2、3メートルだった」。南相馬で聞いたこと、見たこと(2)



環境NPOの事務所をあとにし、向かったのは宿泊先となる農家民宿翠の里」。着いてすぐに迎えてくれたのは、柴犬のハナちゃん。続いて、小倉さんご夫婦があたたかく古民家に案内してくれました。古民家といっても、まったく古びた感じはしません。お客さんとしてここに来たという画家の方が描いたふすま絵があったり、かわいい小物が飾られたりしていて、いろいろな個性をもった人たちが集まる、いきいきとした空気に満ちていました。



東日本大震災でも津波の被害に遭わず、お皿ひとつ壊れることのなかった翠の里は、震災後、たくさんの被災者やボランティアの人たちが寝泊まりする拠点になりました。震災から2年たっ今も、第二の故郷として再び訪れる人が絶えないのは、小倉さんご夫婦の愛のこもったおもてなしと人柄によるところが大きいのではないでしょうか。


荷物を降ろしてお茶をいただいたあと、今も津波の爪痕が残る海岸に案内してもらいました。海岸への道のまわりには、かつての田んぼが草むらとなって広がっています。小倉さんのお父さんは、淡々と、あの日起こったことを話してくれます。


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この辺の田んぼは津波をかぶったけど、海水はそれほど問題じゃなかった。問題は原発南相馬の米というだけで買い控えされるし、ほとんどの田んぼはやめてしまった。



地震が起きてすぐ、大阪の気象台から出された津波予測は2、3メートルだった。それで、海沿いにいた人を助けに行こうとか、様子を見に行こうとかで、海の方に行ってしまった人がたくさんいた。実際に来た津波の高さは20メートルは超えていたと思う。気づいたときにはもう遅いよね。なんで地震が起こったところと遠い大阪の気象台が予想を発表したんだろうって思うけど、国が東と西で平等に仕事を分けようとしてたんじゃないかなあ。



リタイア後にIターンしてきて、海が見える高台に住みたいと言って家を建てて住んでいたご夫婦は、たまたま娘さんが来ているときに津波に遭った。あっという間に家ごと流されてしまったようで気の毒だった。地震が起きた後、みんな津波を避けるために野球場に避難した。でもそこにも津波が来て、ほとんどの人が池に流されて死んでしまった。46人くらいが避難して、生き残ったのは6人くらいだったと思う。男か女かわからない死体がいっぱいで、気がおかしくなってしまった消防の人もいた。



大きなテトラポッドが内陸まできてるでしょう。こんなテトラポッド津波で流されてくるんだ。こんなのがぶつかったら、たまらないよね。それなのに、また新しいテトラポッドをつくってもってきている。なんのためにやってるんだろうと思うような工事がずっと続いている。


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草むらになってしまった田畑と、海岸を埋め尽くそうとするコンクリート工事の残酷なコントラスト。自然への畏れや人の幸せを置き去りにした復興の現場は、ひどく寒々しく見えました。

「原発事故が起こってから、何も変わっていない。ここでは時間だけが過ぎて行く」。南相馬で聞いたこと、見たこと(1)



「とにかく行って、自分の目で見た方がいい。話を聞いたほうがいい」。


NPO法人fufu隊のボランティアとして南相馬を訪れた妻に強く勧められ、私も行ってみることにしました。いっしょに行ったのは、NPO法人R水素ネットワーク代表のハルさん。原発事故で苦しめられている福島の人に、地元でつくって貯めて使うエネルギーのかたち、R水素を知ってもらいたいと思ったからです。


南相馬へは、飯舘村を経て入りました。建物や田畑は残されているのに、人がいない。ニュースなどで知ってはいたものの、その風景は異様に見えました。人がいないというか、消えた、という感じでしょうか。人がいると思ったら除染作業員で、黒いビニールにに包まれた土が、あちこちに積まれていました。


南相馬についてまず最初にうかがったのは、地元で活動する環境NPOでした。エネルギーについて情報交換をする前に、まず原発事故が起こってからのことを聞きました。


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私たちは政治的に見捨てられた存在です。地震が起こって救助に来た自衛隊も、原発事故が起こってすぐに撤退した。再びきてくれたのは3週間たってから。地元の警察と消防は残っていたけど、ガソリンがないから動けなかった。国道が封鎖されて兵糧攻めのような状態だった。避難区域は、国民の安全のためではなく、避難や保証にいくらお金がかかるか、有力な人がいるかどうかという政治判断で決められたように思う。


米軍は福島第一原発から80キロ圏内は立ち入り禁止にした。そんなことは日本政府も事前に知っていたはずなのに知らせなかったのは、政治的な判断があったからなんじゃないかと疑ってしまう。国は対策を自治体任せにしたが、自治体は国の判断を待たないといけない。結局、住民それぞれが自分で判断せざるを得なくなって、みんなバラバラになってしまった。


政府も東電も、自分たちのリスクばかり考えて、住民のリスクは考えていなかった。結局、住民をおろそかに国策として原発を進めているということだ。日本中の人に知ってほしい、悲しいエピソードはいっぱいある。地元では原発で生活して来た人もいるから、こういう事は言いづらいんだけれど。


除染は移染でしかない。本来除染は面でしなければいけないが、福島は点でやっている。テーブルの上でおはじきゲームをやっているようなもの。そんなもの、2週間で元に戻る。税金を使って「やりましたよ」という実績をつくっているだけ。気休めでしかなくて、解決には向かっていない。


いま南相馬は表面的にはみんな普通に生活しているように見えるけれど、見えない部分では戦後の焼け野原と同じような状態だ。子どもや若い人たちが減っていて、新しく入ってくる人は少ない。街は危機的な状況にある。がんばって、がんばってと応援してもらうことは多いけど、ゴールが見えないマラソンをしているような感じで辛い。原発事故が起こってから、何も変わっていない。ここでは時間だけが過ぎて行く。


国が避難の基準として決めた年間20ミリシーベルトという数値も、住民の健康のことを考えてつくられたものではない。そこに入らないと復興事業ができないという地図を見て決められたようなものだ。国に対してはあきらめを感じている。だから国を動かそうとは考えていない。目の前で自分たちでできることを自分たちの手でやっていくしかない。


いまは限られた人員と予算で目の前にある課題を解決することに注力している。当面は放射線量のモニタリングをし、自分たちで放射能の影響を低くしていく情報を集め、発信していく事業でまず成果を挙げようと思っている。


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お話をうかがったあと、再生可能エネルギーとR水素について情報交換をしました。アイデアには理解と共感をいただけたのですが、いますぐには事業化できないとのこと。今後も連絡を取り合おうと握手を交わし、事務所を立ちました。

<続く>

3・11以後に哲学は何を語れるか


友人の山本達也さんのお誘いで、彼が勤める清泉女子大学で開かれていた「地球市民学先攻公開合同セミナー 3・11以後に哲学は何を語れるか」に行ってきました。話題提供者は、清泉女子大学キリスト教文化研究所准教授の原田雅樹さんです。


哲学なんてかじったこともない私ですが、とても勉強になりました。というか、面白かった。頭が興奮でシビれているうちに、その内容をおさらいしておこうと思います。あくまでも、私が理解できる範囲で、ですが。


いまの社会は、近代合理性に基づく経済的思考に染まっています。政治も科学も、文化も、すべてが経済化。原発や気候変動といった危機に対するスタンスも、確率論、リスク論からの「予防原則」が主流になっています。でも、近代合理性の象徴である科学技術の営みには、大きな欠陥があります。


〜ヨハン・ヨナス「責任という原理」


科学技術の営みは、そのつどの近未来の目標を実現するために発展を生み出すが、こうした発展には、一人歩きし始める傾向、すなわち固有の強制力を持つ力学、自律的に働く慣性を獲得するという傾向がある。そのために、科学技術による発展は不可逆であるばかりか、前へ前へと駆り立てるものとなり、行為者の意志と計画を飛び越してしまう。技術的発展は望ましくない過程を「固持する」傾向を強く持っており、そこから離れることはますます難しくなる。


限りなく合理性を求め続ける科学や経済は、人間が壊れても、発展することをやめません。いま私たちを悩ませている問題でいえば、人間の活動との因果関係がわかったころには取り返しがつかない状況になっているであろう地球温暖化による気候変動。そして、ひとたび事故を起こせば惨事を引き起こし、また使い終わった燃料が核爆弾の原料になる原発があります。


〜高木仁三郎による核管理社会


核に限らず、人間の生み出した科学技術の力が、人間自身と自然環境に対して、このうえなく破壊的・抑圧的に振舞うようになったこの時代においては、平和という言葉には、おそらく従来よりはるかに積極的な、人間が生きることの尊厳を包み込むような意味が与えられなくてはならないだろう。


そしてその意味において、核の商業利用(=原子力)は、すでにその技術のあり方において、けっして「平和的」ではありえない。核の商業利用のもつ商品価値は、まさに核エネルギーの自然緒力に対する支配的な強さによるものであり、その支配は人間という自然にも貫徹するからである。巨大な資本投資と技術革新によって、その核をも人間の自由に操作しうるものとしたいと期待した人たちの願望は、見果てぬ夢となってしまった。核の操作は、人間の管理強化によってのみ進行しているのである。


経済という狂った歯車に殺される前に、何ができるのでしょうか。それはズバリ、最悪のシナリオを想定して、行動すること。世界が近代合理性に支配される前、人びとを律していたのは「預言」でした。危機を預言する人がいて、それを避けるために人は自らの行動にブレーキをかけていたのです。


予測できない危機の足音が聞こえてきている今、私たちに求められているのは、破局が必ず起こると想定して推論を行うこと。破局後の時間に自己を投げ入れ、そこで起こりうることをふりかえって考えること。ハンナ・ヨナスはそれを、ネガティブなことではなく、「おそれに基づく発見術」だといいます。


破局を予見することで見える、新しい道。ジャン=ピエール・デュピュイは「ありえないことが現実になるとき」、ジャン=リュック・ナンシーは「フクシマの後でー破局・技術・民主主義」で、絶望からの希望を思索しているそうだ。


いま必要なのは、近代合理性が破壊してしまった神話や倫理観を取り戻すことなのかも知れない。この時代に神話とかが有効でなないとすれば、それはカルチャー、ということになるだろうか。損得ではない、数字で測れない人間らしい価値観に基づくカルチャー。いわゆる「懐かしい未来」ではない、時代を超えて、しかもみんなが輪に入りたくなるようなカルチャーをつくっていきたい。


今日は37回目の誕生日だった。この気づきは、また自分を新しくしてくれる、とてつもないプレゼントだ。破局をリアルに想像しよう。そして、おそれを持って、光を探しに行こう。