かつてのシリアの幸せを思わずにいられないマクルーベの美味しさ。シリア難民のゲストを迎えたSOW!政治 vol.18

バター1キロ、米3,5キロ、牛乳5キロ、牛ミンチ2キロ…。ものすごい量の食材を集めたイベント会場に来てくれたのは、シリア難民のナーゼムさんとヤーセルさん、そしてシリア支援団体ピース・オブ・シリア代表の中野貴行さん。

ダイナミックなのは食材だけではありませんでした。シリアにいたころは高級レストランでシェフを務めていたというナーゼムさんは、息子のヤーセルさんに手伝ってもらいながら、見事な手さばきであっという間に大人数分の料理を完成させてくれました。

 

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ソーセージをつまみながら政治をカジュアルに語る場として続けている「SOW!政治」ですが、vol.18はシリアスペシャルということで、ハラールに抵触する豚を使ったソーセージ抜きに。そのかわり、手作りのシリア料理たっぷり、というかたちで開催したのです。

ふるまっていただいた料理は、バターで炒めた牛のひき肉とお米をナスの茹で汁で炊いたごはんに、揚げなすとナッツ類をトッピングした「マクルーベ」と、やさしい甘さのライスプディング

 

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ドーンと盛られた料理を前に、まずはみんなで「いただきます」。ナーゼムさん、ヤーセルさん、そして中野さんを交えておいしくいただきながら、お互いに時ご紹介をしたあと、中野さんから自らの体験と、ピース・オブ・シリアの活動についてお話いただきました。

中野さんがシリアで過ごしたのは、2008年から2010年の間。当時のシリアは、日本よりずっと治安がよく、自然も豊かで、幸せな国だったそうです。医療や教育は無料で、イスラム教の人もキリスト教の人も平和に共存。いまでは信じられませんが、世界で一番難民を受け入れる国でした。

人々のおもてなしの心もハンパなく、中野さんは向こうにいる間、お腹が空いたことがなかったというほど。たとえば、喉が渇いて水が欲しいといったら、お茶していけ、となり、ご飯を食べていけ、となり、泊まっていけ、ということもしばしば。中野さんが滞在していた町が田舎のこじんまりしたところだったというのもありますが、シリア全体に、イスラム教に根ざしたやさしい心遣いがあふれていたそうです。

そんな平和が、2011年の内戦で一変。中野さんは、内戦の前と後のシリアを伝えるため、そして、これからのシリアを担う子どもたちをサポートするためにピース・オブ・シリアを立ち上げられました。中野さんの突き動かすのは、世界平和への思いということはもちろんありますが、何よりシリアの人たちが大好き」という気持ちだそうです。

中野さんに続いて、いまは明治大学で学ぶヤーセルさんから、シリアで起こったことについてお話を聞きました。シリアで内戦につながる対立がはじまったのは、チュニジアで「アラブの春」が起きた後だそうです。

シリアは1970年からアサド政権による独裁がはじまり、その体制は親子二代にわたって今も続いています。長く続く独裁で、政府とコネのある人間だけがいい仕事につき、いい暮らしができる傾向に。能力があるのにコネがない人は、国を出ることもあります。また、言論の自由がなく、言いたいことが言えない重苦しい空気もありました。1981年に起きた政府による虐殺事件も、重苦しい記憶として残っているそうです。

そんな社会に対して不満を持つ多くの国民が、アラブの春を見て「自分たちも社会を変えたい」と、非暴力のデモを起こし始めます。はじめは平和なデモだったのですが、アサド政権は武器を持ってデモを制圧。身内が殺されるようになると、反体制派の方も武器を持つようになり、内戦状態になったそうです。

教育や医療の無償化など、シリアの厚い福祉を支えていたのは、化石燃料や鉱物などの豊かな資源でした。内戦がはじまると、その富を狙ってロシアやアメリカといった大国やイスラム国などがシリアに介入するようになり、泥沼化し、大量の難民を生み出すようになってしまいました。

これまでも中東では、大国に刃向かった国の指導者は殺され、言いなりになる政権が生き延びる傾向がありました。ヤーセムさんは、アサド政権がしぶとく残っている背景には大国の影があると言います。

内戦は収束する方向に向かっていますが、激しい内戦の生々しい痛みがあるため、世界中に散らばった国民同士は連帯できないままでいます。様々な情報が飛び交い、誰を信用していいかわからない状況があるからです。難民として生きるのは辛いため、「外国でゆっくり死ぬより、シリアで空爆されてすぐ死にたい」というシリア人もいるほど。

ヤーセルさんは、母と妹ととともに、親戚のつてを頼りに日本に難民としてやってきました。日本は難民にはとても厳しい国です。難民申請をして半年は銀行口座も持てず、働けません。携帯電話も持てないので、孤立しがちです。日本の難民認定はわずか0.3%。認定される基準も不明確で、来てしまった難民は支援する姿勢のヨーロッパと違い、難民が国に戻るのがどんなに厳しいか理解しているのか疑問を感じるそうです。

難民申請が通ったヤーセムさんに呼び寄せられて日本にきたナーゼムさんは、日本に来た時はエキサイティングな気持ちでいっぱいだったそうです。レストランシェフの腕を生かしてホテルなどですぐに仕事に就けるだろうと思っていたからです。ところが、まず日本語が話せないということと、日本語で書かれたマニュアルにのっとった決まった作業が求められるため、なかなか働き口が見つかりません。先の見えない状況が不安そうなナーゼムさんでした。

そんな状況を打開しようと、ヤーセルさんはナーゼムさんがずっと働けるような飲食店をつくりたいと考えています。まずは日本人にもなじみやすくカジュアルなフムスのサンドイッチなどを提供するスタンドなどから始めたいという夢を持って、勉強をされています。

夢への一歩として、先日は日本の起業家のサポートで、青山で期間限定のレストランを開いたナーゼムさん。とても好評だったので、12月に銀座でまた開く予定だそうです。マクルーベもライスプディングもとてもおいしかったのでぜひ行ってみようと思います。念願のお店をオープンして、ナーゼムさん、ヤーセムさんのご家族が日本で末長く幸せに過ごせるといいですね。

私はシリア難民のおふたり、そして中野さんのお話を聞いて、他人事ではないと改めて思いました。平和な日常は、当たり前のものではありません。また、自分の国の政治には、外国の思惑や経済の影響が大きく関わってきます。身近なところから対立や争いの芽に敏感でいること、そして世界の動きを知る努力をすることが大切なのだとしみじみ思わされたのでした。

世界の動きを知る上では、命を張って真実を見る目となってくれるジャーナリストのみなさんには心から敬意を払いたいと思います。私はフォト・ジャーナリズム雑誌の「DAYS JAPAN」を定期購読しているのですが、実は、シリア内戦が起こってからその報道があまりにもシビアで、ページから目を背けがちでした。でもこれからは、勇気と現地への想像力を持って、読もうと思います。いつか平和を取り戻したシリアを訪れてみたいです。

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