「原発事故が起こってから、何も変わっていない。ここでは時間だけが過ぎて行く」。南相馬で聞いたこと、見たこと(1)



「とにかく行って、自分の目で見た方がいい。話を聞いたほうがいい」。


NPO法人fufu隊のボランティアとして南相馬を訪れた妻に強く勧められ、私も行ってみることにしました。いっしょに行ったのは、NPO法人R水素ネットワーク代表のハルさん。原発事故で苦しめられている福島の人に、地元でつくって貯めて使うエネルギーのかたち、R水素を知ってもらいたいと思ったからです。


南相馬へは、飯舘村を経て入りました。建物や田畑は残されているのに、人がいない。ニュースなどで知ってはいたものの、その風景は異様に見えました。人がいないというか、消えた、という感じでしょうか。人がいると思ったら除染作業員で、黒いビニールにに包まれた土が、あちこちに積まれていました。


南相馬についてまず最初にうかがったのは、地元で活動する環境NPOでした。エネルギーについて情報交換をする前に、まず原発事故が起こってからのことを聞きました。


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私たちは政治的に見捨てられた存在です。地震が起こって救助に来た自衛隊も、原発事故が起こってすぐに撤退した。再びきてくれたのは3週間たってから。地元の警察と消防は残っていたけど、ガソリンがないから動けなかった。国道が封鎖されて兵糧攻めのような状態だった。避難区域は、国民の安全のためではなく、避難や保証にいくらお金がかかるか、有力な人がいるかどうかという政治判断で決められたように思う。


米軍は福島第一原発から80キロ圏内は立ち入り禁止にした。そんなことは日本政府も事前に知っていたはずなのに知らせなかったのは、政治的な判断があったからなんじゃないかと疑ってしまう。国は対策を自治体任せにしたが、自治体は国の判断を待たないといけない。結局、住民それぞれが自分で判断せざるを得なくなって、みんなバラバラになってしまった。


政府も東電も、自分たちのリスクばかり考えて、住民のリスクは考えていなかった。結局、住民をおろそかに国策として原発を進めているということだ。日本中の人に知ってほしい、悲しいエピソードはいっぱいある。地元では原発で生活して来た人もいるから、こういう事は言いづらいんだけれど。


除染は移染でしかない。本来除染は面でしなければいけないが、福島は点でやっている。テーブルの上でおはじきゲームをやっているようなもの。そんなもの、2週間で元に戻る。税金を使って「やりましたよ」という実績をつくっているだけ。気休めでしかなくて、解決には向かっていない。


いま南相馬は表面的にはみんな普通に生活しているように見えるけれど、見えない部分では戦後の焼け野原と同じような状態だ。子どもや若い人たちが減っていて、新しく入ってくる人は少ない。街は危機的な状況にある。がんばって、がんばってと応援してもらうことは多いけど、ゴールが見えないマラソンをしているような感じで辛い。原発事故が起こってから、何も変わっていない。ここでは時間だけが過ぎて行く。


国が避難の基準として決めた年間20ミリシーベルトという数値も、住民の健康のことを考えてつくられたものではない。そこに入らないと復興事業ができないという地図を見て決められたようなものだ。国に対してはあきらめを感じている。だから国を動かそうとは考えていない。目の前で自分たちでできることを自分たちの手でやっていくしかない。


いまは限られた人員と予算で目の前にある課題を解決することに注力している。当面は放射線量のモニタリングをし、自分たちで放射能の影響を低くしていく情報を集め、発信していく事業でまず成果を挙げようと思っている。


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お話をうかがったあと、再生可能エネルギーとR水素について情報交換をしました。アイデアには理解と共感をいただけたのですが、いますぐには事業化できないとのこと。今後も連絡を取り合おうと握手を交わし、事務所を立ちました。

<続く>