夏休み、島根だらだら日記


8月19日


夜行バスで、三次に5時半着。
涼しい空気を胸いっぱいに吸って、
東京から離れたことを実感する。


先に島根に来ていた妻の車で、羽須美の別荘へ。
別荘といっても、ただの空き家なんだけれども。
別荘に着く前に、母の実家に寄る。
親戚が5人くらい集まったかと思ったら、
お坊さんがやってきた。
先日亡くなった祖母の二七日の法要だ。
まだ6時半だというのに、お経が始まった。
田舎の朝は早すぎる。


別荘に着くと、
私が来るのを待ちかねていた息子は、
さっそくビニールのプールに水を入れて遊ぼうと誘う。
よし、入るか。まわりに人もあんまりいないし、と、
家の裏でふたりともスッポンポンになって遊んだ。
後になって、近所のおばあさんが見ていたことがわかるのだが。


午後は、東京から羽須美にUターンし、
農家民泊「今ちゃんの家」を開いていらっしゃる
今手喜三さんをたずねて、いろいろ話を聞く。
このインタビューは、後日greenz.jpの記事としてアップします。
東京にいる者ができる、せめてもの地域おこしです。


8月20日

伴蔵山の中腹にある父の実家へ。
この家はすごい。地元の人から「空の家」と言われている。
とにかく景色がいい、空気がいい。
水道が通っていなくて湧き水を使っていて、
この水がとびきりおいしい。
この家に住んでいる人はみんな長生きする。
祖父は89歳、祖母は101歳まで生きた。
いまはおじさん、おばさんが住んでいる。
この二人も80過ぎているかピンピンしている。


縁側でスイカと、おばさん手作りのもちを食べたあと、墓参り。
ご先祖さまは、この山から遠く離れて東京なんかに住んでいる私を
ケシカランと思っているかもしれない、と思いながら手を合わせる。


そのあと、山の頂上近くにいらっしゃる自然回帰観音さまに
あいさつをして帰る。しかし、自然回帰観音とは皮肉な名前だ。
このあたりはどんどん人がいなくなって、
自然に帰っていっているからだ。


8月21日

買い物をしに、ちょっと開けた場所に出る。
iPhoneのメールを起動すると、メールがどんどん入ってくる。
見たら放っておけない。バタバタとメールと電話をし、
再びオフラインの地へ戻る。田舎のスローな空気を汚しちゃったな。


午後は息子と江の川へ。
暑くて水はぬるくなっていたが、
山を眺めながらプカプカ水に浮かぶのはとても気持ちがいい。
自然の石がゴロゴロしていて、小さな魚が泳ぐ川は
子どもにとっては刺激的なようで、次から次へと遊びを考え、
それにつきあわされた。


夜は空の家で花火大会。
スイカやそうめんを食べながら、
子どもと年寄りと花火を楽しむ。
空を見上げれば満天の星。なんて贅沢な時間だろう。
こんなところでも、自分は人の動きに目を配ったり、
あとのことを考えて動いたり、
東京に帰ってからのことを考えていたりする。
なんて自分は心が貧しいんだろう。
お年寄りと子どもは心からいまを楽しんでいるではないか。
東京で時間に追われる生活をしているけれども、
実は自分を追いかけているのは自分の慌しい心なのではないだろうか。
もっとおおらかに生きねば。


8月22日

神話博しまね」が開かれている出雲へ。
島根のおじさんたちは「島根に人がいっぱいくるチャンスじゃあ!」と
興奮気味だったが、行ってみたらほどほどの人だった。
古代出雲歴史資料館とその横の特設会場がメイン。
特設会場では、ゆるキャラ「しまねっ子」の歌がリピートされているのだが、
これが腹立つことにとても耳に残る。映像を駆使した舞台を観て、
まが玉づくり体験をし、博物館を観たら半日たっていた。
イベントはともかく、古代出雲歴史資料館は見所がたくさんあった。
歴史好きの人は出雲大社詣でのついでにどうぞ。


帰りは、おじさんがオススメだというお店へ。
地元の食材をつかったこだわりのお店か?と思って期待してたら、
車が止まったのは昭和な風味の「レストランまるや」。
「ここならなんでも食べられるで」とおじさんはニコニコ。
たしかにメニューを見たら和洋中なんでもある。
昔デパートにあったファミリー食堂みたいだ。
おじさん二人は、酢豚セットとカツ丼、
息子はネギラーメン、妻と私は唐揚げセット。
あまり期待はしていなかったんだけど、すごいボリュームあるし、
しっかりつくってる感じがする。
東京では外食といえば妙に凝ったお店かチェーンかどちらかしかない。
こういう、ごっつ普通の独立系というのはあまりない。
懐かしいし、おいしい。こういうゆるいの、大好き。
まるや、チェーンに負けずにがんばって欲しいものだ。


8月23日

東京に帰る日。別荘の主としては大変な日だ。
台所や冷蔵庫にある食材をすべて使い切らないといけない。
家中をきれいにしないといけない。

まず台所。
東京から若い家族が来るのは田舎では珍しいことなので、
あちこちからいろんな食べ物をいただく。
野菜や果物がとにかく多い。
自給自足みたいな生活をしている人が多いので、
みんな手土産に持ってくるのだ。
きれいなものは箱詰めして、
これからお世話になる友だちの家に送る。
ヤバそうなものはとにかく料理。
妻はカサが減るように炒め物などにして
朝からとり憑かれたように料理をした。


当然、自分たちだけでは食べられないので
親戚の家に「いっしょに食べませんか」と言いつつ
持っていった。行くと「これどうぞ」とまた
野菜とかを渡してくるのだが、必死で断る。


掃除も力が入る。別荘の使われ方は主に二つ。
法事などでたくさん人が来たときの宿。
そして、空の家にいる人たちが雪深い冬に非難する場所。
他の人たちが気持ちよく過ごせるようにしておかなければならない。
お腹をパンパンにし、手足が疲れ切った状態で夜行バスに乗る。
気持ちよい眠りから覚めれば、そこは暑い、うるさい、臭い東京。


短歌のたしなみがあるおじさん、
丸原巧海とおしゃべりしながら、
息子が詠んだ俳句のようなものです。


・山里の夏はみどりで水うまい
・くうきとか すいかがうまい しまねけん
・いねの海 イノシシとっしん おそろしい
・きりのうみ よくよくみえるよ きれいだな
・みどりやま あせがたらたら あついよー
・どいなかだ くらすのたいへん たすけてー
・なつやすみ ぼんにいなかへ はかまいり