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「まちがいを恐れずに」自由学園読書会レポート

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間違いのないようにという考えの中で事をするのと、
考えた上ではき違えるならはき違えても構わないという、
潔い勇気をもって事をする人とでは、
その行為の上に著しい違いのあるものです。

(まちがいを恐れずに  …羽仁もと子選集「最も自然な生活」より)

初等部、男子部、女子部、最高学部。
自由学園の四部の父母が集まってともに語り、学ぶ読書会。
今回の課題図書は「まちがいを恐れずに」でした。

人はとかく、周りの顔色をうかがったり、前例にならったりして、
本当に自分が大切だと思ったり、やりたいと思ったりすることへの
チャレンジをあきらめがちです。
失敗を許さない空気が、社会にあるんですね。
でも、社会の空気は自分たちでつくっていくものでもあります。
「はき違えても構わない」そんな気持ちで風通しがいい
社会をつくっていきたいものですね。

本を読んだあとは、ワールドカフェ。
「ピンチをどう切り抜けたか」というテーマで、
テーブルにわかれて話し合いをしました。

自由学園には先生が決めた校則というものがありません。
生徒の自治が重んじられていて、生徒たちが話し合った内容を
6年生(高校3年生)がとりまとめてルールをつくるのです。

ただでさえいろいろある年代です。
子どもたちは、数え切れないピンチに出くわします。

しかし、何かトラブルがあっても、
先生や父母は簡単に口出ししません。
「信じて待つ」それが、
自由学園にかかわる大人たちのスタンスなのです。

読書会の最後に、高橋学園長がこんな話をされました。


「中高生というのは、自分のことがわからないまま成長する時期。
 大人になっていく過程でいろいろなピンチにぶち当たるけど、
 そのたびに視野を広げることになる」

やりたい放題ではない、厳しい「自由」がある自由学園
教えられるだけではなく、自ら学ばざるを得ない環境で、
子どもたちは今日もボコボコになりながら生活しています。

政治×ソーセージ×LEGO=!!!!!

ソーセージをつまみながら政治について語るイベント「SOW!政治」、vol.9はレゴブロックを使い、「LEGOシリアスプレイ」のメソッドを使って行われました。

 

19時を過ぎてぼちぼち人が集まり始め、恒例の、ソーセージをモグモグしながらモヤモヤを共有する時間。公平と平等の違いなど、いきなり深い話題で盛り上がります。

 

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ひととおりお腹がふくれたところで、レゴが登場。一人ひとりに、同じようなパーツが入ったレゴブロックが配られます。組み立ての練習、続いて「意味付け」の練習。自分がつくったタワーに意味を見出し、他の人に説明するという、レゴシリアスプレイの基本を試してみるのですね。

 

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そして、いよいよ政治について。「理想の政治のかたち」を参加者それぞれが頭と手を動かしてつくりあげます。ほとんど同じ材料なのに、それぞれ個性的な「政治のかたち」ができるから面白いです。

 

できあがった「政治のかたち」をみんなで見て、隣の人の作品の説明をし、そのあと自分で解説するというステップで、形の違いだけではなくて、考えの違いも共有していきます。普通のディスカッションだと、声が大きい人やしゃべるのが上手な人が流れをつくったりしてしまうことがあります。でもレゴという目に見えるものを通してひとつひとつじっくり考えることで、お互いの考えについて理解が深まり、また自分の考えを明確にしていくことができるのですね。

 

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最後は、みんなの作品をお互いで配置し直して、一連のストーリーをつくるという作業。ここでも、同じものを通して色々な見方ができることを実感できます。「政治」とひとくちに言っても、それぞれ実は頭の中には違うイメージが居座っています。それをいったん、それぞれの頭と手を経た「かたち」としてアウトプットすることで、より課題が明確になったような気がします。

 

そして、なんといってもレゴは楽しい。ブロックをいじっていると眠っていた遊びこごろが目を覚まし、楽しく、明るく考えようという気持ちが起きてくるのですね。

 

ソーセージだけでも十分、政治の話を穏やかに話すことができるのですが、そこにレゴが加わることでさらに楽しく、深く話をすることができ、実りの多い時間となりました。

 

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さあ、次のSOW!政治は、どんなかたちでやろうかな。

美は見出すもの、育てていくもの

「ただによい景色や美しい花を見た時にだけ、僅かに美を感ずることの出来るような頑なな心でなしに、どういうものの中にも秘されている美を見ることが出来るような深い心を培ってやりたい」

自由学園創立者 羽仁もと子

 

四年に一度、幼稚園から最高学部(大学部)まで、すべての学園生がキャンパス中を舞台に作品を繰り広げる自由学園美術工芸展

 

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「生活即教育」という自由学園の教育理念は美術教育にも生きています。生活の中に美を見出し、その美を生活、そして社会で実現していく。単なる表現にとどまらず、体験を通した思考や感情の動きを芸術として爆発させる。そんな強いアートが自然に満ちたキャンパス内にのびのびとはじけていました。

 

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幼児生活団の作品。うずらや鳩を卵から育てる体験が子どもたちに強い印象を与えているようで、鳥をモチーフとした作品が多くありました。特に鳩を放つ瞬間を描いたものは驚きと喜びにあふれていました。

 

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初等部(小学校)の作品。歴史ある校舎の壁だってキャンパスになります。体育館の中は、子どもたちの感性を通して再現された大自然。その生命力には圧倒されました。

 

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男子部の作品。「価値のないものから価値を生み出し、感動を与える」ということが大きなテーマになっていたそうで、材料は徹底的に廃材です。男子部は自分が学ぶ机と椅子をつくるのですが、その端材をワイルドな額縁にしています。額縁といっても、枠をなしていないのが、彼らの激しさを表現しています。影絵も息を呑む緊張感。廃材を照らす先には、まぎれもない美が映し出されていました。

 

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女子部は圧巻でした。繊細で大胆な心とからだが生み出す瑞々しいアートの数々は、どれだけ眺めていても飽きないほど。

 

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最高学部の作品たちからは、人間のもつ深みを感じました。自由学園の「自由」というのは、人に与えられた可能性を限りなく高め、社会に生かすことだと思うのですが、その自由が花開くとこのような形になるのかと思わされました。いい意味でも底知れない人間の力を目の当たりにし、さあ、自分はどう生きていくのか、と深く内省させられたのでした。

 

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見る人の美意識を揺さぶってやまない自由学園の美術工芸展、次は四年後です。個人的には、オリンピックよりもずっと楽しみです。

夢とうつつの間で観た「うみやまあひだ」

四日野小ガーデン仲間からのお誘いで、映画「やまうみあひだ」の上映イベントに行ってきました。伊勢神宮式年遷宮をめぐり、12人の賢人が語るドキュメンタリー映画です。

 

畑仕事のあとに腹いっぱいランチ食べて観たものだから、正直、美しい映像と音楽の波におぼれて序盤はウトウトしてしまいました。が、中盤以降はじわじわそのテンションに脳が覚醒してきたのか、多面体のようにさまざまな側面から語られる遷宮と自然、そして文明のヴィジョンに引き込まれ、興奮のうちに映画を観終えたのでした。

 

自然に抱かれて、これからの世代に預かった時間を生きる私たちはどう生きるべきか。1300年あまり続いている式年遷宮を通して考えさせられます。圧倒的な自然をとらえた映像の中にいると、自分という一人の人間は本当にちっぽけなものだと思わされます。

 

長期的な視点で、謙虚に自然と向き合ってきたのも日本人なら、いま目先の儲けに翻弄されて刹那的に無気力に生きているのも日本人です。

 

パワースポット流行りもあり、とかく神社に注目が集まり、伊勢神宮もテーマパーク的に注目されていますが、ただ「スゴいよね」「きれいだよね」「ご利益ありそうだよね」で終わらせるのではなく、どうしてスゴいのか、どうしてきれいなのか、どうしてご利益がありそうなのかを問いかけながら訪れたいものだと思いました。

 

伊勢神宮に限らず、歴史的な建物や自然と向き合うときにはね。「やまうみあひだ」は、これからもいろいろなといころで上映会があるようです。機会があればぜひ。私も今度は、もっと大きなスクリーンと深い音響の場で観てみたいですね。

 

上映後のトークも刺激的でした。特にライフネット生命保険の出口社長のコメント。いちいち深く、かつ力が抜けた感じ。「人間の脳は進化していないんですから、考えはシンプルなほうがいいんですよ」「人種なんてないんです。みんなホモサピエンスで、ルーツによって見かけがちがうだけで」などなど。歴史マニアだそうで、人類の歴史を踏まえた人や社会の見つめかたが鮮やかなんです。

 

自然や歴史…。若い頃にはまったく興味がなかったのですが、最近はグイグイ引き込まれていきます。もっと歳を重ねると、もっといろいろ関心が広がって見えて来る世界も変わってくるのかも、なんてちょっとこれから楽しみになったゆたかなイベントでございました。

自由ってなんだ?自由学園ってなんだ?

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息子が通う自由学園では、父母を対象にした読書会が開かれます。創立者である羽仁もと子先生の著作などをみんなで読み、その感想などをみんなで話し合う会です。読書会というとお勉強っぽく思われるかもしれませんが、話し合いの方が多くなるように時間を割り振られているので、それほど堅苦しい雰囲気ではありません。

 

今日参加した読書会では、羽仁もと子先生没後40年を記念してかつてつくられた映像「光を放つ人になる」を観たあと、講話のCDを聞いたあとで、5〜6人くらいに分かれて話し合いをしました。テーマは「自由学園を人にどう紹介するか」。

 

成り立ちからカリキュラム、年間行事まで、他の学校とは大きく違う学校です。ひとことで説明するのはとても難しいのですが、さまざまな学年の父母の方や最高学部の学生さんたちから、それぞれの経験を踏まえたお話を聞くことができました。

 

自由学園に息子が通うようになってから深く考えさせられるようになったのが、「自由」についてです。「自由」学園なのに、ひとりが自由を満喫できる時間はとても限られています。生徒の自治が重んじられているため、生活のこと、行事の運営、トラブルの解決まで、生徒たちで行わないといけない毎日。先生をはじめとする大人たちは、そばで見守り、支えるという姿勢です。そんな学校が「自由」って?と。

 

自由というと、好きなようにやりたい放題という印象がありますが、自由学園で身につける自由は、一人ひとりがもって生まれた可能性を、自らのコントロールのもと伸ばし、生かしていくことのようです。なかなか言葉にしづらく、また実感しづらい概念なのでモヤモヤしますが、その意味を自分なりに問い、考え、実践していくことが、自由学園を通して親子で学ぶ意義なのかもしれません。

 

本当の自分というのは、ボーッと好きなように過ごしているだけでは見つかりません。自分のことを、自分で知ることはなかなか難しいことなのです。得意なことも不得意なことも本気で取り組む。好きな人とも苦手な人とも本気でぶつかる。その過程での悩みや葛藤、そして発見や達成感を通して、見出される個性や能力を、社会で思う存分発揮する。それが自由学園の教育なのかもしれません。

 

「生活のなかで本当の自分とやるべきことを見つけ、自分をつくっていく。そして人生を通して、より正直な自分に近づいていく」そんな言葉で読書会の終わりに、自由学園の教育についてまとめられたのは学園長。たくさんの卒業生を見て感じた言葉には実感が感じられました。

 

体験を通してしか得られない学びであり、なかなか伝わりづらいこともあってか、世間ではあまり知られていない自由学園の教育について、これからも自分なりに考えながら、たどたどしい言葉で伝えていきたいと思います。

ツッコンでええか、大阪

東京は、標準に合わせようとすることで、いろんな人がともに生きている街。大阪は、雑多なものを認めることで、いろんな人がともに生きている街。そんな風に思う。

どっちかというと、大阪のおおらかさの方が好きかな。おもろかったら、それでええ。そんな自由さが、大阪の好きなところ。でも、どうしたんだろ。一部の人たちだとは思うんだけれど、自分と「ちがう」と思う人たちを蔑ろにする言動が目立つようになってきたね。余裕がなくなってんのかな。

私が大阪のカルチャーにどっぷりつかっていた90年代は、大阪はホンマにおもろいところやった。ちょうどオルタナティブロックがはやってて、少年ナイフとかボアダムズとかが海外でウケてて、東京より大阪のほうが世界とシンクロしてるんちゃうか、という熱狂があった。いろんな文化をしなやかに受け止めて混ぜ繰り返して、新しいカルチャーをつくる。ブラジルみたいな感じかなあ。

いまはちょっと、内輪ウケな感じになってるんちゃうかな。ホンマ、もったいないで。おもろないで。心から、好きやねんって言わしてえな、大阪。

 


Shonen Knife-My Favorite Town Osaka

国を変えられてしまう前に、社会を変えてしまおう。

選挙後にガッカリするのに

すっかり慣れてしまった。

何度味わっても虚しくて、

でも、気持ちを奮い立たされる。

 

経済と安定という言葉の前に

思考停止し、大きなものにすがりたい。

そう考える人たちが与党をガッチリ支える。

 

そしてその周りにいる、

チャンネルを変えたり商品を選ぶ程度の

自由があれば社会のことは任せてしまいたい。

そう思う人たちが積極的に棄権する。

 

お任せの行き着く先の言いなり国家が、

いま完成しようとしている。

 

まあ、仕方ないよねと、

流れに身をまかせつつ、

生活の中に小さな楽しみを見つけて

死んだように生き続けることもできる。

 

でも、1ミリでも希望があるのなら、

新しい流れをつくっていきたい。

政治を、あきらめたくない。

 

そんな思いで学生たちがSAPSL、そして

 SEALDsとして立ち上がり、声をあげた。

参院選の盛り上がらなさに危機感を抱き、

三宅洋平も暴れに暴れた。

 

こうした動きを、

なんちゃって文化人たちは冷笑する。

選挙のときだけ騒いでもねえ。

それじゃあ負けるよねえ。

意味なかったよねえ。なんて。

 

よく言うよ。

選挙のときだけ、

安全なところから高みの見物してさあ。

 

彼らが表に出ないところで

どれだけ多くの人と話し、ぶつかり、

考え抜いて行動してきたか。

話を聞いてみればわかるだろう。

その辺の政治家よりも深く語っていたよ。

 

SEALDsの動きがなかったら、

野党はここまで粘れなかっただろう。

第二自民党とでも言いたくなるような

極右を抱えて判断が鈍い民主党も、

共産の文字を捨てられない共産党も、

野党共闘がなかったらここまで議席

取ることはできなかっただろう。

 

三宅洋平が音楽とともに

まっすぐな言葉を投げかけなければ、

それまで政治に背を向けていたような

人たちが、政治に関わることの大切さを

体を通して実感することはかなっただろう。

 

動き始めるのが遅かったことは確かだ。

しかし、いちど目覚めてしまうと、

人というものは簡単には動きを止めない。

民主主義のようなものが死に絶えつつある今、

本当の民主主義が、ようやく歩き出したのだ。

 

しかし、なにしろ時間がない。

したり顔の文化人がのたまうような

「現実的」とか「バランス」とかに

足を取られている場合ではない。

 

クレージーになれない頭でっかちを振り払って、

眠っている仲間を起こし、たくらみ、

社会をひっかきまわそうじゃないか。

舞台は政治だけじゃない。

世界を見回せば、できることだらけだ。

 


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