自分とは?生とは?死とは?重いテーマを軽く語る先生の2時間。自由学園「地球市民教育フォーラム」養老孟司さん講演

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「地球とそこに住むすべてのいのちの持続可能性」を共通テーマにしている自由学園の「地球市民教育フォーラム」、第8回のゲスト講師は養老孟司さんでした。そこで語られた内容を、忘備録として残しておきます。

 

中等部、高等部、最高学部の学生たちを前にしていたこともあり、次世代に向けてのメッセージでもありながら、「生きる」という世代を問わず向き合わざるを得ないテーマについての講演となりました。

 

「自分」って?

 

「自分」をさかのぼってみると、元はたった0.2mmの卵。それが大人になると50,60kgになったりする。食べたものが「自分」になる。成長する過程で、体の中の細胞は、古いものから新しいものに入れ替わっていく。7年でぜんぶ入れ替わる。中身はまったく違うものなのに、頭は「自分」だと思っている。人だって、社会だって、実態は「入れ替わっている」。そのことに日本人が気づいたのは平安時代平家物語では「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」、方丈記では鴨長明により「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず〜」と書かれている。鴨川という川はずっとあるけれども、流れている水は変わり続けているということ。

 

環境とはなにか。定義は、「自分を取り巻くもの」。「自分」と「環境」は対になっている。つまり、環境と自分を切り離して考える傾向がある。例えば名前。名前というものは、自分のためではなく、社会の都合、他人のためにある。ラオスの田舎には、村の名前がない。なぜなら、外から人がくることはないから。

 

「自分」という意識がないと家に帰れない、ナビで言うと矢印みたいなもの。脳には空間を認識する部位がある。体験談によると、そこが壊れると「自分が水のようになって広がってく」ようになるそうだ。ナビで言うと、矢印がなくなって、地図そのものになるような感覚。宇宙にいてもそういう感覚になる人がいる。空間認識能力がなくなって、世界、宇宙とひとつになったような感覚になる。

 

「自分」という意識は、起きているときだけ働く。では、「意識」とは。意識というのは秩序。なので、意識してデタラメ、ランダムはできない。でいないからサイコロがある。意識をもつ人がつくる世界は秩序立っていく。自然の法則として、あるところに秩序ができれば、別のところに無秩序ができなければいけない。秩序を維持するにはエネルギーがいる。つまり、エネルギーがないと文明は維持できない。

 

「死」とは?

 

進化とは何か。0.2mmの卵をつないでいくこと。トカゲ、恐竜、人間といろいろな動物が出てきたけど、結局、つながっているのは卵。その繰り返し。それを勝手に断つことができるのは人間だけ。勝手につながりを切ってしまうのは人間の傲慢。

 

生物は、順繰りで生きて、死ぬ。死んでも自分は困らない。困るのは周り。どんな生き物も、何かしら貸し借りをつくってお互い様で生きている。「自分」のことばかり考えると、自然に死ぬよりも、死を自分で決めたいと思ってしまう。でも「自分」というのは自分だけで生きているわけではなく、色んな人の思いや支えを受けて生きている。だからこそ、勝手に終わらせてはいけない。

 

「AI」と人間

 

AIは社会を変えるか。すでに変わっている。たとえば、「医者は患者ではなく、パソコン画面ばかり見ている」というクレームがずいぶん前からある。銀行では、本人がいるのに本人確認の資料が求められる。人間が情報しか扱わなくなっている。人間がいらなくなっている。それを象徴するのが銀行のリストラ。ノイズを扱わない時代になっている。同じフロアにいる人が声をかけずにメールでやりとりしたり、電話が嫌がられたり。

 

合理的、効率的、経済的、というが、突き詰めるとノイズだらけの人間は不必要ということになる。このまま進むと、自分で電源を入れたり切ったりできるコンピューターが出てくる。どこかで歯止めを考えないといけない。遺伝子をいじれる技術が出てきているが、そのうち人間をいじる人が出てくる。人間の遺伝子操作について、ヨーロッパは禁止、アメリカは規制がある。日本はアメリカだから規制をつくるだろう。中国は何の動きもない。

 

意味のある世界にどっぷり浸かって生きているから、人生の意味なんてものを考えてしまう。人生に意味はあるのか、という問い自体が間違っている。人間はとかく意味のあるものしかつくらないが、世界は意味のないもので満ちている。山にでも行ってみるといい。意味のないものだらけだ。

 

自分が実感できない「事実」は疑ってみたほうがいい。情報や常識には嘘が混じっているときがある。信じないベースには戦争体験がある。「一億総玉砕」と言っていた大人たちが、戦争が終わった途端に「戦争放棄」と言うようになった。戦前からの教科書は間違っているからと、ほとんどのページにスミを入れた。世の中の常識なんてすぐに変わってしまう。 自分をつくってくれる作物を育てる意義は大きい。目を凝らす、ほどよく肥料をやる、失敗してもやる。

 

農業を通して、努力、根性、辛抱が身につく。今の子どもは、昔の1年生にできた辛抱が、6年生になってようやくできる。しかし、努力、根性、辛抱はあくまでも結果。それをつけさせることを目的にしてはうまくいかない。共同体の中で、人と協力しあうことで、ひとりでに身につく、というのがいい。