国を変えられてしまう前に、社会を変えてしまおう。

選挙後にガッカリするのに

すっかり慣れてしまった。

何度味わっても虚しくて、

でも、気持ちを奮い立たされる。

 

経済と安定という言葉の前に

思考停止し、大きなものにすがりたい。

そう考える人たちが与党をガッチリ支える。

 

そしてその周りにいる、

チャンネルを変えたり商品を選ぶ程度の

自由があれば社会のことは任せてしまいたい。

そう思う人たちが積極的に棄権する。

 

お任せの行き着く先の言いなり国家が、

いま完成しようとしている。

 

まあ、仕方ないよねと、

流れに身をまかせつつ、

生活の中に小さな楽しみを見つけて

死んだように生き続けることもできる。

 

でも、1ミリでも希望があるのなら、

新しい流れをつくっていきたい。

政治を、あきらめたくない。

 

そんな思いで学生たちがSAPSL、そして

 SEALDsとして立ち上がり、声をあげた。

参院選の盛り上がらなさに危機感を抱き、

三宅洋平も暴れに暴れた。

 

こうした動きを、

なんちゃって文化人たちは冷笑する。

選挙のときだけ騒いでもねえ。

それじゃあ負けるよねえ。

意味なかったよねえ。なんて。

 

よく言うよ。

選挙のときだけ、

安全なところから高みの見物してさあ。

 

彼らが表に出ないところで

どれだけ多くの人と話し、ぶつかり、

考え抜いて行動してきたか。

話を聞いてみればわかるだろう。

その辺の政治家よりも深く語っていたよ。

 

SEALDsの動きがなかったら、

野党はここまで粘れなかっただろう。

第二自民党とでも言いたくなるような

極右を抱えて判断が鈍い民主党も、

共産の文字を捨てられない共産党も、

野党共闘がなかったらここまで議席

取ることはできなかっただろう。

 

三宅洋平が音楽とともに

まっすぐな言葉を投げかけなければ、

それまで政治に背を向けていたような

人たちが、政治に関わることの大切さを

体を通して実感することはかなっただろう。

 

動き始めるのが遅かったことは確かだ。

しかし、いちど目覚めてしまうと、

人というものは簡単には動きを止めない。

民主主義のようなものが死に絶えつつある今、

本当の民主主義が、ようやく歩き出したのだ。

 

しかし、なにしろ時間がない。

したり顔の文化人がのたまうような

「現実的」とか「バランス」とかに

足を取られている場合ではない。

 

クレージーになれない頭でっかちを振り払って、

眠っている仲間を起こし、たくらみ、

社会をひっかきまわそうじゃないか。

舞台は政治だけじゃない。

世界を見回せば、できることだらけだ。

 


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