複雑さを味わおう。ソーセージも、政治もね。

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ソーセージをつまみながら政治をゆるく語ろうと、有志ではじまったイベント「SOW!政治」も3回目の開催に。

今回は、大学生など若い人たちの参加もあり、とてもにぎやかな会になりました。今までとちがったのは参加者の年齢層だけではありません。政治の話がしたくてしかたがない、という情熱にあふれた人や、政治への立場を明確にしている人など、政治をある程度語れる人の参加が目立ちました。ゆるく語るというより、熱く語るという感じでしたね。

いつものように自己紹介からはじまり、そのあと興味があるテーマごとに別れてのディスカッション。私は「前回に引き続き、安保法案の条文を読む」グループに参加しました。条文そのものは相変わらず宇宙語なので、もっぱら内閣官房から出ている「概要」が頼りです。

この概要を読むのも二度目なのですが、やっぱり分かりません。存立危機事態って?新三要件って?国際社会の平和及び安全を脅かす事態って?などなど、中身がよくわからない言葉がちりばめられていて苦しめられます。

調べたり議論をしたりしてくうちに、ハッキリ定義できる人はいないのではないか?解釈次第でどうにもなるのではないか?という疑問がまた出てきます。集団的自衛権という戦後これまでにない武力行使を規定する法案なのに、どうしてこんなに複雑で曖昧なのか…。

 政治や経済でよくわからない事柄がでてきたとき、私たちはつい、わかりやすい解釈を求めがちです。超訳やまとめ記事的なものについつい手を伸ばし、わかったつもりになろうとします。しかし、本当にそれでいいのでしょうか。複雑なものには、複雑な理由があるのではないのでしょうか。

 複雑な事情があって、それに対応するために複雑な仕組みがあるのなら、いったんそれをそのまま受け止めて、味わって、感じてみてはどうでしょうか。もちろん、すぐに理解することはできないでしょう。しかし、間違いなく疑問は生まれます。その疑問が、複雑にからみあった社会を理解するカギとなるかも知れないのです。

 複雑な社会を受け入れ、自ら問い、考え、答えを探すこと。それもまた、健全な民主主義のために必要なことではないだろうかと思うのです。

 「難しいことは分からないんで、偉い人で決めちゃってください。そこそこ幸せだから文句言いません。」そんな感じで一人ひとりが政治や経済から目を背けることで、民主主義は劣化し、独裁政治に堕ちていきます。支配を望む一部の人を支えているのは、支配されても構わないという多くの人の思考停止だったりするのです。

 難しいから、複雑だからと逃げるのではなく、わからなくても、なぜこんなに難しいのだろうか考えてみる。何か分からないのかを考えてみる。考えることすら許されない時代が来る前に。

 SOW!政治の言い出しっぺの一人、飛田さんはこう言いました。「池上さんを頼るのではなく、自分が池上さんになれるようにしたい」。私も民主主義国家の主として、そうありたいと思います。そのための場として、SOW!政治を育てていきたいです。

 次回の第4回は11/30。ぜひ熱々のソーセージをつまみながら、熱いモヤモヤを分かち合い、政治の話しをしましょう。