夏休みに考えたこと

昨日まで夏休みをいただいていました。


逃避先は、
両親の実家がある島根と、
妻の実家がある三重。


まずは島根です。
とてつもない過疎地で、
広島から4時間近くかかります。



少子高齢化が進んでいて、
行くたびに人が少なくなり、
人が住まなくなった家、
耕されることがない田畑が
増えていっています。



山の上に「自然回帰観音」
という観音さまがいるのですが、
その名前が象徴するように、ここは
人里から自然に戻りつつあるようです。
人間よりも、植物や虫たちが主のような
ワイルドな風景の中にいると、
自然は美しいというより、強いと感じます。



自然のほかに印象的だっのは、
公共事業の空しさです。
立派な施設や公園があるのですが、
それを運営する人や組織が育っていないので、
閑散としていたり、雑草に覆われていたりします。
公共工事で土木業者に金を落とし、それで終わり。
一部の人たちだけが潤って、空しいゴミが残る。
日本の戦後はこの繰り返しだったんでしょう。



島根では、出雲にまで足を伸ばしました。
同じ島根でも、こちらは賑やか。
60年に一回の本殿の改修が行われていて、
屋根をふきかえる工事を見学できました。
出雲大社は、駐車場代も入場料も取りません。
それは、神様が呼んで来るところだからだそうです。
前に出雲大社を訪れたのは結婚式のときでした。
ずいぶん前なのでいろいろなことを忘れて
いたのですが、初心に返れということですかね。



島根のあとは三重。
ここもまあ、田舎なのですが
工場がたくさんあるので、人はたくさんいます。
ここで驚いたのは安売りスーパー。
食品などが、とんでもない安さで
大量に売られているのです。
どう考えても公正じゃない。
どこかで誰かが泣いているとしか思えない値段。
こんなに安く売って、買ってるんだから。
そりゃあ、給料も上がらないわけだと思いました。
日本人、みんなで貧乏競争しているようなもんだ。
こんな不毛な競争早くやめて、みんなでそこそこ
豊かな暮らしができるようになればいいんだけど。



田舎をまわって、東京に帰ってきて思う。
やっぱり、ここは異常だ。
人とモノが集中しすぎている。
ひとことで言うと、過剰。
バランスを欠いた、コヤニスカッティの世界だ。


経済という歯車の上で
我を忘れて走らざるを得ない
クレイジーなところで
私は生きているんだけれど、
せめて自分は、そしてみんなは、
心を持ち、血の通った人間なんだ
ということを忘れないで生きよう、
ここがおかしな世界だということを
忘れないで生きよう、と思った。