たくさんのピースコピーライターが生まれた日


NIPPONをひっくり返して見てみよう、
というかけ声のもと集まり、創る集団「Noddin」。


その展示会で企画された「PEACE COPY」の
ワークショップに参加してきました。


講師はコピーライターの並河進さんと、
アートディレクターの福島治さん。


ワークショップは、
並河さんによるピースコピーの書き方講座から
はじまりました。


私もコピーライターなので、
自分なりのステップや視点をもって
書いているのですが、
並河さんがレクチャーで紹介された技法
実によくまとまっています。


いきなりコピーを書こうと言われても
固まってしまいますが、
ひとつひとつの技法に当てはめると、
書きやすくなるんですね。


講義のあとは、
実際に書いてみるステップです。
気づきを与える言葉、
未来へのシナリオを提示する言葉、
行動をうながす言葉、
新しい合意形成の言葉…。


安保法制が成立し、
日常にもきな臭い風が吹き始める中、
ひとりひとりがピースコピーに
向かっていました。


できたコピーは、
福島さんがチャリティTシャツプロジェクト
GIFT HOPE」の一貫としてTシャツになる
ということで、みんな真剣です。


そして発表。
福島さんの太鼓をバックに(笑)
自分の書いたコピーをプラカードとして発表。
お題目ではなく、個人の実感のこもった
ピースコピーの数々には、
ハッとさせられるものがありました。


私が書いたコピーは3つ。
・個人的自由権を行使する。
・核の力より、「書く」の力を信じている。
・平和のためなら、いますぐ脱げる。(Tシャツということで、笑)


さあ、どんなTシャツになるんでしょう。
デザインのアップは12月とのことなので、
ドキドキしながら待つことにしましょう。


言葉でつながり、理解しあい、考える私たち。
大げさに言うと、
言葉を書くことは、世界をつくることにもつながる。
だとしたら、ピースなコピーが増えることは、
ピースな世界が広がるきっかけになるのかも知れない。
そんな明るい気持ちになれるワークショップでした。


並河さん、福島さん、
どうもありがとうございました!


Noddin 3rd Exibitionは目黒のクラスカで今日18時まで。
ぜひ訪れて、視点をひっくり返してみてくださいね。


●Noddin 3rd Exibition
https://www.facebook.com/events/1497869513839822/

安保法案、賛成!反対!の前に

greenzライターのランチミーティングでの雑談がきっかけで
有志ではじめた、ソーセージをつまみながら政治を語る会、
「SOW!政治」。

第2回のテーマは「安保法制」でした。
反対とか賛成とかの前に、
そもそも法案読んでみなきゃね、ということで
みんなで案文概要を読みながら話し合いました。
もちろん、ソーセージをつまみながら。

しかし案文、超難解。
同じ日本語とは思えないレイヤーの違いを感じます。
この言語が通じる人たちだけで進めるから、
みんな理解しなくていいよと言われているような
ハイブロウ具合。

それに対して概要は分かりやすくまとまっています。
案文から概要にする過程で大事なところが抜けている
かも知れないので、概要で安保法案の本質が
分かるかどうかは謎なのですが、
これを読むのが精一杯です。

で、読んでみると、
何が課題でできた法案なのか、
どこに問題があるのかが自分なりに見えてきます。

政治や経済のややこしいこととなると、
とかくカンタンな説明を求めたりしがちですが、
やはり、自分で元のソースに当たって
考えることはとても大切なんですね。

これからは
簡単に「賛成」とか「反対」とか言うのは
やめようと思いました。
そうではなく、どう考えるかとか、
せめて、どうして賛成、反対なのかという
理由をつけて意思表示をしようと思いました。

人と話をしていると、
思いもよらない視点が得られます。
「株をやっている友だちは安保法制に賛成している」
という話が出て、国際的な動きももちろんなのですが、
経済的な動きも政治に大きな影響を
与えているのかも知れないのですね。

政治じゃなくて、経済についても
もっと勉強しなきゃなぁ。
わからないことがわかる、
貴重なSOW!政治。
大事な場として育てていきたいものです。

安保法案成立。さあ、ゲームに戻ろう。

安保法案が成立した。
衆議院に続き、参議院ともに、
与党による強行採決というブサイクなかたちで。

第二次安倍政権になってから始まった
特定秘密保護法をめぐる動きに対して、
若者を中心としたデモが何度も起きるようになり、
その流れは安保法案に反対する大きな動きになった。

私はそれらのデモに積極的に参加してきのだが、
周りのいわゆる「ソーシャル系」と言われる人たちの
中には、そうした反対の声を上げることとは
距離を置く人たちも少なからずいた。

反対反対と叫ぶ以外の方法があるはずだ、とか。
そもそも今の政治の仕組みがもう古いんじゃないか、とか。
もちろん、そのどちらも正しい。
立場を越えた対話にもとづき、民意をよりスピーディに、
的確に届けるしくみは必要だ。

でも、それどころじゃないと思った。
いま目の前に、対話やしくみづくりの大きな妨げに
なるかもしれない、息苦しい社会への入口が
迫っているのだから。

これまでと違うかたちを模索する動きと同時に、
緊急対応として、いま迫っている狂った流れを
食い止めないといけない。
そんな思いで、デモに参加してきた。

そんな中、
安保法案はその審議の過程で
実質的には改憲ともいえる内容を含んでいたり、
そもそもこの国を守るどころか危険にさらすということが
どんどん明らかになっていった。
それにつれ、デモに参加する人もどんどん増えていった。
しかし、あえなく法案成立。

遅すぎたのだ。山が動くのが。
ここに至るまでに、何度も選挙があった。
デモなんか起こさずとも、止めるチャンスはあった。

しかし、政治、特に民主主義には遅いも早いもない。
国民一人ひとりが主権者として政治のしくみを理解し、
考え、行動することで、政治は動いていくのだ。

ここ数年、自分なりに政治のことを学んで
ひとつの仮説を持つに至った。
それは、民主主義というのは、
自立した個人と表現の自由をベースとした、
社会をつくる非常に高度なゲームのような
ものだということだ。

この高度なゲームの目的は、
たくさんの参加者が最大限に幸せに暮らす
社会をつくる、というもの。
しかし、実は終わりというものはない。
終わりのない創造のプロセスを、
参加者みんなで営むという壮大なゲームなのだ。

本来、すべての人が
世の中の動きに関心を持ち、ルールを理解して
参加するゲームが民主主義だったのだが、
いつの間にか、参加する人が減ってしまった。

まず、難解なルールを理解しようとする人が減った。
そもそも社会に大きな問題があると思っていない、
あるいは、その問題が政治、あるいは民主主義で
解決できると思わない人が増えていったからだ。

かくして、このゲームは、
自分の都合のいいように社会を変えてしまおうとする
小賢しい人たちに利用されるようになった。
ルールを変えられるのも、民主主義というゲームの
ルールのひとつなのだ。実に創造的で、破壊的だ。


一部の人たちに都合がよくなる傾向がどんどん
強くなったゲームには、ますます参加者が減っていった。
そうなると、ルールはどんどん不平等になる。悪循環だ。


そして多くの人が気づいたときには、
生きづらい社会ができあがっていた。
…というのが、今なのではないだろうか。


恐ろしいことに、
もはや日本の政治はほぼ独裁に近い状況にある。
ほんとうに、暗澹とした気持ちになる。


でも、あきらめてはいない。
繰り返しになるが、
民主主義というのは、
終わらない創造のプロセスなのだ。


いままでゲームに参加することを忘れていた人たちが、
暴政とそれに反対するデモをきっかけに、
ようやく目を覚ましつつある。
ゲームに参加しようという人が増えつつある。
ルールが変わったのなら、もういちど、変えようじゃないか。
まだゲームオーバーじゃない。
さあ、ゲームに戻ろう。

6月20日に生まれて〜映画「ラブ&マーシー 」を観ました


はじめて買ったCDは、ビーチボーイズのベスト盤でした。きっかけはテレビ番組。KBS京都で、ロックグループの歴史を代表曲とともに振り返る30分くらいのシリーズ番組をやっていたのです。その中でビーチボーイズの回があり、楽曲のカッコよさにノックアウトされたのでした。


それからバンドの歴史が書かれた本を読み、ブライアン・ウィルソンという天才の苦しみにも衝撃を受けます。「うつろな目でベッドのふちを爪でカタカタ鳴らして音を奏でていた」というブライアンの引きこもり時代の描写は、当時中学生だった私に強烈な印象を残しました。


悲劇の天才としてロックの歴史の中で生きていたブライアンですが、晩年になって奇跡的な復活を遂げ、37年の間お蔵になっていたアルバム「スマイル」を完成。70歳を超える今も、新作を発表し続けています。


音楽はもちろんですが、人間はどんなどん底からも立ち直れるんだという希望を体現してみせるブライアン・ウィルソンは、私にとっては神様のような存在です。中学のときに出会って、もう死んだと思っていたおじさんと、自分がオッサンになってから再会したら、なんとそのおじさんは以前よりも元気になっていた、というような感じ。うれしいを通り越して、驚くような再会でした。


今年になってようやく気づいたのですが、なんとブライアンと私は同じ誕生日。それを知ったとき、私の中でブライアンは遠いところにいる神様から、私自身の中にいる神様のような存在に変わりました。


そして、本当は一人で読んだり書いたりしているのが好きなのに、たくさんの人と関わりながら世間と向合わざるを得ない広告という仕事をしている自分の悩みと、理想の音楽を追い求めたいという願いを持ちながら、バンドのメンバーと折り合いをつけてポップ・ミュージックを作っていたブライアンの苦しみがダブることもあり、中学生のときは他人事のようだったブライアンの暗黒面が、自分の中にもあるように思えるようになってきました。


そんなブライアンの半生を描く映画、「ラブ&マーシー 」を観ました。


映画はブライアンが壊れるようになっていった「ペット・サウンズ」と「スマイル」制作の時期と、精神科医の管理下から復活をとげる時期の二つのドラマが交互に進行する構成。高揚と絶望、地獄と天国が、神がかったポップ・ミュージックとともに観るものの心に迫ってきます。


歳を重ねるって素敵だね。愛することって素敵だね。「ペット・サウンズ」のオープニングを飾る “Wouldn’t be nice”がブライアンの人生と重なり、より深みをもって、私を支える曲となりました。ロックファンはもちろん、落ち込んでいる人や、恋人同士にもオススメの映画です。


夏休み日記(4)のんびりするはずだったんです



greenz.jpの取材でお会いした邑南町の人たちとも、毎年再会しています。


まず、Uターンしたアクティブシニアの今ちゃん。相変わらず鋭い視点で、邑南町の地域おこしを語ってくれました。この人の片腕になるような40代、50代の人がいれば、邑南町はもっと面白くなると思います。私には、そんな勇気はありませんが…。


そして、Iターンしたおーなんさん。この方の幸せオーラは周りの人も幸せにします。当時はシングルマザーだったのですが、邑南町で素敵な方と巡り会われ、新規就農者のサポートしていらっしゃいます。その幸せっぷりが人を呼ぶのか、なんと親戚二組のご家族も邑南町に移住を決めたそうです。


今年もまた、面白い人を取材しました。いま記事にまとめているので、楽しみにお待ちくださいね。


島根ではのんびりできたんでしょうね、と言われたりするのですが、とても忙しかったです。両親の実家がある集落なので、親戚もいっぱいいます。お盆ということもあり、たくさんの親戚が訪れ、またこちらからも訪ねる親戚がいたりとでずっとバタバタしていました。たまにしか会えない人たちなので、うれしい忙しさなんですけどね。


母に連れられて訪れた、母方の親戚の人たちとの話は印象的でした。もともと役場だったという築百年の家に住んでいるおじさんは、昔の家族の写真をたくさん見せてくれました。6歳で死んだ子どもに着物を着させて写っている家族の写真、戦争に行く前の若者の写真など、どれも古いのですが、考えさせられます。大変な時代を生き延びた人たちがいて、自分がいる。いま生かされている命を大事に、大胆に使わなければと思わされました。


亡くなった祖母とそっくりなおばさんは、しゃべり方までそっくり。曾祖母は10人の子どもを産んだのですが、当時は「産めや増やせや」の時代。周りからは立派だと言われていたけど、本人は犬とか猫みたいで恥ずかしいと言っていたそうです。お国と家が栄えることが何よりも大切だとされていた時代、個人の想いはひそやかな声として殺す必要があったんですね。


人がどんどん減り続ける邑南町の羽須美地区は、積み重ねてきたたくさんの人の想いを飲み込むような形で自然に還りつつあります。いつまで帰って来れるだろうか。何が残せるだろうか。自然に癒され、人に考えさせられる、清々しくも重い島根となりました。

夏休み日記(3)シベリア帰還者に聞く、戦争のリアル



島根に帰ったとき、決まって会う人たちが何人かいます。そのうちの一人が、画家の品川始さん


品川さんは第二次世界大戦でシベリアに抑留され、その体験を絵にしてこられました。偶然のご縁で出会ったのですが、私の祖父がシベリアに抑留されていたこともあり、懇意にさせていただいています。


90歳を過ぎても絵への意欲は衰えず、品川さんは老人ホームで暮らしながら絵を描いて暮らしていらっしゃいます。最近は、かつて出版されたシベリア体験をまとめた著書「凍った大地に」の再版を記念する講演をされたそうです。近況を聞いているうちに、話題は安保法案へ。品川さんはおだやかな口調ながら、いまの世の中を心配されていました。


「日本人は戦争の本当の苦しみを知らない」。品川さんは兵隊として中国大陸にいたとき、日本人が現地の人たちに暴虐の限りを尽くしているのを目の当たりにされました。日本人も戦争で酷い目に遭ったけれども、アジアの人たちに与えた苦しみは計り知れない。空襲を受けたり原爆を落とされたりはしたけれども、地上戦は沖縄だけ。敵の兵隊に追われ、虐殺される恐怖を多くの日本人は知らない。被害者として戦争を語ってばかりで、加害者として反省することがないと、日本人の戦争の振り返り方についても怒りに近い疑問をお持ちでした。


「安倍さんは何を考えとるんかなあ」。戦争は絶対にしてはいけない。強くおっしゃる品川さんを前にしても、軍国老人のおじさんは上の空。帰りの車の中でも、「韓国はおかしいですなあ」とつぶやいておりました。


軍国少年だったおじさんにとっては、品川さんは軍隊でお国のために戦った憧れの先輩。慕っているといいってもいい存在なのですが、そんな人の言葉も耳に届きません。年のせいもあると思いますが、自分の意見を正当化する本ばかりを読み続けてきたからというのもあるのではないでしょうか。少年の頃に植え付けられたロマンを、自分に都合のいい情報で固めたものが現実となっているのです。


疑うクセを持ち続けること。歳を重ねても柔軟であり続けること。難しいことですが、絵を語る品川さんの澄んだ目を思い出すと、無理なことでもないような気がします。

夏休み日記(2)いきなり育鵬社


三重から島根へ。



島根では、別荘で過ごします。別荘といっても、山深いところに住むおじさん、おばさんが冬に仮住まいをしたり、親戚が集まるのに使ったりする古い小さな家です。春、夏、秋はほとんど人が入らないので、着いたらまず掃除。窓を開け、布団を干し、掃き掃除、拭き掃除をし、冷蔵庫や食器棚の怪しい物たちを整理します。


バタバタしているところへ、おじさん登場。私たちが来るのを心待ちにしており、また移住してくることを切望しているおじさんです。やさしくてユーモアがあるとてもよい人なのですが、価値観がまるで戦前。なによりも国家と家系を大切にするお年寄りなのです。


「こんにちわぁ〜」とニコニコやってきて、まずは「この本はとてもいいことが書いてありますけぇ、みんなで読みんさい」と、育鵬社の本をゴソッと渡してきます。


おじさんによると、少年の頃に「ボクハ軍人ダイスキヨ」と叩き込まれ、その後陸軍士官学校に入って戦後を迎えているので、国家に尽くすことが人として何よりも大切にすべきことだと信じているそうなのです。


憧れのまま軍隊の学校に入り、実際に戦場に立つことないまま終戦を迎えたおじさん。殺し、殺されるような思いをすることもなかった。また、田舎なので空襲もなく、また飢えに苦しむこともなかった。そのため、戦争がロマンの結晶になったまま年を重ねているのです。そして玉音放送も直接は聞いておらず、戦争が終わったことも人から知らされたそうなので、敗戦のリアリティもないのでしょう。おじさんの頭の中では、まだ戦争は終わっていないようなのです。頭の中は一触即発。いつ中国、韓国、北朝鮮が攻めてくるやも知れん。本気でそう思っているようです。


そういうおじさんなので、安保法制などの動きについては議論の余地なし。何を言ってもニコニコと笑うだけです。なので育鵬社の本も、とりあえず受け取って、別荘の本棚に袋ごと置いておきました。きっとそれでも、来年また同じような本を渡してくるでしょう。