環境問題というより、人類問題だろう。と、改めて

アフリカが抱える問題というと、何を思い浮かべるだろうか。パッと浮かぶのが、紛争や貧困だ。しかし実は、気候変動も大きく関わっているらしい。

先日、自由学園の平和週間にゲスト講師としていらっしゃった、NPOアフリカ日本協議会の理事、西原智昭さんのお話を聞いた。

トークの前に会場で流されたのは、レオナルド・ディカプリオの映画「地球が壊れる前に」。ずいぶん前にネットで観る機会があったが、どうも結論が見えているのがつまらなく感じ、最後まで観ないままになっていた映画だ。

ディカプリオが気候変動の現場を訪ねるという、まあ言ってみればそういう映画なのだが、実際に観てみると想像していた以上の衝撃を受ける。情報として知っているというレベルを超えて迫ってくるものがある。

目を覚まさせられるような気持ちになったあと、西原さんが登壇された。西原さんが話されたのは、映画では取り上げられていないアフリカが直面する気候変動の問題。

地球上にある大きな熱帯雨林は3つ。アマゾンと東南アジアと、中央アフリカコンゴ。アマゾンと東南アジアは既に開発が進み、いまコンゴが乱開発の危機にさらされているという。木材のために、パーム油の畑のために、そして、レアメタル採掘のために。

レアメタルは、ソーラーパネルやバッテリーにも使われる。いずれも気候変動対策のために需要が高まっているが、その原材料を得るために熱帯雨林が破壊されるとすれば、エネルギーシフトも手放しで歓迎できない。

また、社会課題の解決に通信やAIの活用が期待されているが、そこにも膨大なレアメタル、そしてエネルギーが必要だ。一見スマートだが、現実的な解決策とするのはおめでたいのではないだろうか。

原因は、持続不可能な資源の使い方に依存する私たちの暮らしや経済。西原さんは、私たちにできることを以下のようにまとめた。

・まず知る
・周りの人と地球のことを話す
・学んだことを一過性で終わらせない
・まずは大人が学び、子どもに伝える
・環境、社会配慮型の商品を選ぶ
・できる限り節約する
・日本人の特性を以下す(もったいない精神)

散々聞かされているようなことかも知れないが、いまいちど肝に銘じよう。

大型化する台風など、日本でも気候変動の影響が深刻になりつつある。しかし報道は、災害の被害について追うばかりで、復旧したらそれで終わり。その原因を伝えようとはしない。一人ひとりが、このままでいいのか、どうしていくべきなのかを考え、行動していく必要がある。

環境問題については、個人的にずっと向き合ってきたつもりだったが、西原さんの話は、気合を入れ直す機会となった。できることはある。でも、時間がない。問い続け、動き続けるしかない。

2019.7.25〜26 白馬岳山行記

いつか登りたいと思っていた白馬岳。ずっと山地図を本棚に寝かせたままだった。手にとってみると、その山地図は2011年版。思い返すと、その年に行く計画を立てていたものの、台風の接近で断念したのであった。

以前は夏となると毎年アルプスの山に登っていたのだが、いっしょに登っていた友だちが海外に転勤になってからごぶさたになってしまっていた。最後に登ったのは2014年の鳳凰三山。いちど行かなくなると準備などがおっくうになってしまい、ズルズル行かない夏を重ねて5年目の夏、ついに白馬に行くことに。

重い腰を上げさせたのは息子だ。夏休みに白馬山荘でバイトしている息子に夫婦で会いに行こう、ということになったのだ。

2019年7月25日(木)東京→白馬八方

東京から白馬村へはレンタカーで。前日の夜に入り、車中泊して翌朝に登りはじめ、白馬山荘で一泊して帰るという計画だ。白馬村の八方に着いたのは夜の23時半。駐車場には、私たちと同じように車中泊しようとしている車がチラホラ。長い梅雨が明けきっておらず、台風もきているというので、夏山シーズンの割には少ない印象だ。

夫婦の予定と仕事の都合を調整し、息子のバイト期間の中で決めた2日間だ。カンタンにはずらせない。雨くらいなら登ろう、台風が来たら来たで考えよう。そんな勢いで前夜を迎えた。

白馬村は東京と比べるとずいぶん涼しい。窓を閉めていても車の中はちょっと暑いかな、という程度。蚊が入ってくるのは嫌なので、窓を閉めて後部座席を倒したラゲッジスペースで寝袋にくるまって就寝。割とぐっすり眠れた。学生時代には山の前は夜行列車が定番で、駅のホームで寝たこともあったなあ。それと比べりゃ極楽だ。

2019年7月26日(金)白馬八方→猿倉→大雪渓→白馬山荘

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空が明るくなってくる頃に目覚め、八方バスターミナルへ。猿倉までの料金事前に窓口で払い、バスに。座りながら、朝食を食べ(行儀悪くてすみません)、猿倉についたのは6時半ごろ。

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猿倉ではまず、登山届けを出す。大雪渓を渡って白馬山荘で1泊、翌日は栂池封建に下りるというコースで届けを出すと、係の人が「台風で栂池のロープウェイが止まるかもしれないので、ご注意ください」と。栂池に下りられないとなると、下りも大雪渓。しかも台風の中?勘弁してほしい。が、そのときはそのとき。今は雨も降っていないし、とにかく登ろう、ということになった。

大雪渓を超えるにはアイゼンが必要だ。レンタルできるかと思っていたら、買取りのみだった。土踏まずの部分に爪をつけるシンプルなアイゼンが1,000円。命には代えられないので、迷わず購入。

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準備運動をし、水を補給していざ山へ。なだらかな道を1時間くらい歩くと、白馬尻小屋に。その先はいよいよ大雪渓だ。無事を祈りつつ、アイゼンをガッチリと装着。先を見ると、とても7月とは思えない雪の斜面。そこを、たくさんの登山者と列をなして登っていく。登りというより、一歩一歩、雪を踏みしめるような感じだ。

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自分が滑らないことはもちろん、岩を転がさないように慎重に。岩を転がすと、ツルツル〜ッと音もなく滑っていくので、他の登山者を危険にさらすことになるのだ。長い長い大雪渓。終わったときには心底ホッとした。

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雪渓のあとは急な登り。ゴツゴツした岩の道を、高山植物たちに励まされながらひたすら登る。白馬岳頂上宿舎を過ぎると、今日の山行の目的地である白馬山荘が見える。一気に登り切ると、小屋番のTシャツを着た息子が迎えてくれた。到着は12時45分。6時間の登りだった。

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息子はそのとき大雪渓かき氷の担当で、登ってきた人に声をかけていた。「かき氷食べて行ってよ」とお願いされたが、日も出ていなくて寒かったので「先にお昼ご飯食べるわ」と逃げた。

受付を済ませて自炊コーナーで昼食。メニューは味付けいわしの缶詰を入れて炊いたごはんとインスタントのスープ。おなかもふくれて体もあったまったので、大雪渓かき氷をいただきに。あったまったとはいえ、寒い外で食べるのはキツいと言うと、スカイラウンジという喫茶室で食べてもよいとのこと。ぬくぬくの中でかき氷を食べられるのはうれしい。大雪渓かき氷は、たっぷりの練乳にフルーツをまぶしたかき氷。暑い日に登った人は、クールダウンできる上に疲れも癒されるので、かなり美味しくいただけるんじゃないかなぁ。

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かき氷を食べて小屋でのんびりした後は、早めの晩ご飯。晩ご飯の時間は受付のときに指定されるようになっている。指定されたのは17時45分。ちょっと早いけど、早く寝るからまあよしだ。山には何度も登っているけど、食堂でご飯をいただくのは実は初めて。いつもはセコく自炊なのです。ひょっとしたら、厨房で働いている息子の姿が見られるかも、という親バカ心で、初めての山食堂です。

その晩のメニューは、魚や揚げ物、サラダなどがプレートになったバランスのいい定食。トレイを持って並んでいると、厨房でおかずを並べている息子の姿が。あとで話を聞くと、その日は割と空いていたので、400人分くらいの食事で済んだそうだ。多いときには700人くらいの食事を用意するというから大変だ。 食事をいただいたテーブルには、私たち夫婦と、中年女性2人組、そして若いカップル。

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カップルの女子は小さなディズニーのぬいぐるみを持ってきていて、テーブルでぬいぐるみが主人公の写真を撮っていた。ぬいぐるみの旅行という体で、あちこちで写真を撮っているのだろう。

中年女性2人組は私たちと同じコース、そしてカップルは逆のコースでの行程だ。 逆のコースといえば、大雪渓を下るということだ。それはかなりハードだ。マジか。話を聞くと、当初は栂池から来て、また栂池に帰るというコースをとる予定だったそうだ。登りも下りも大雪渓を避ける予定だった、ということだ。ところが、栂池からの行程がとにかくハードで、命の危険を感じるレベルで二度と通りたくない、とのことだった。いや、むしろ大雪渓を下るほうが危ないのでは、と言ってみたものの、「岩と岩との間に大きな穴が空いていたりして、ありえないんですよ!」と興奮した様子。小屋の人からも初心者の方は下りの大雪渓はオススメしないと言われたそうなのだが、もうその道しか考えられない、という感じだった。不安だったが、大雪渓でぬいぐるみの写真を撮れる楽しみもあることだし、若いし、大丈夫かな。「とにかく慎重に下ってくださいね」と励ましておいた。

食後はスカイラウンジで生ビールを飲みながらのんびりし、親宛に絵葉書を書いて投函し、8時過ぎに就寝。

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2019年7月26日(金)白馬山荘→白馬岳→小蓮花山→白馬大池山荘→白馬乗鞍岳→栂池高原→白馬山荘

朝4時起床。もう日が昇りつつある。急がなきゃ。トイレで息子に会う。今から朝食の準備に取り掛かるらしい。ガンバレ!防寒着を着て体操をし、4時半に出発。20分ほどで白馬岳山頂に。雨は降っていないものの、ガスは多い。ぼんやりと、劔が見える、槍が見える。だんだんと空全体が明るくなってきて、雲の切れ間からご来光が。ピカーンというお日様じゃないけれど、生まれたての太陽の光はやっぱり好きだ。しかも、すぐ下には綿菓子のような雲海。

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絶景の朝をたっぷり楽しんだあと、小蓮花山へ。このあたりに来ると、空は青空に。ときおり高山植物を眺めながら岩がゴロゴロした道を登り下りする。

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登ってくる人にあいさつすると、「雷鳥がいますよ!」と言われ、指差された方を見ると、いました。雷鳥が、首をキョロキョロさせながらのんびりしている。地図を見るとこの辺りは「雷鳥坂」。岩ばっかりだけど、雷鳥にとっては過ごしやすい環境なのだろうか。

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小さな雪渓を渡って、白馬大池山荘に到着。池というより、湖のような大きな池のそばにある山荘はとても気持ちいい。朝食はここで作って食べることにする。メニューは棒ラーメン。強風の中、バーナーにがんばってもらってすぐ完成。具は魚肉ソーセージと味噌汁の具。ジャンクな味も山ではごちそう。食後にもういっちょバーナーにがんばってもらって、絶景の中カフェオレを一杯飲んで出発。小屋の表示を見ると、栂池のロープウェイも運行しているようだ。台風がそれたんだな。ツイてる。

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池を右手に、雪原を左手に、出発。ここから乗鞍は、今回の山行での最後の登り。とにかく岩がゴツく、登りも下りもハード。昨日の晩ご飯のときにぬいぐるみカップルがビビっていたのはきっとここだ。岩を終えたら、最後の雪原。ロープをつかみながら、慎重に、慎重に。雪原のあとは、ドロドロの道。やがて天狗原に入りしばらく木道を歩く。木道が終わり、樹林帯を抜けると、栂池山荘。一気にムードは観光地。カフェがあり、お土産売り場も。靴の泥を落とし、さるなしソフトでホッと一息ついて、ロープウェイ、ゴンドラを乗り継いて栂池高原へ。ここまで来ると完全に下界。暑い。

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白馬八方まで戻るバスに乗るべくバス停に向かうと、同じく八方に向かうというおばさまに会い「もうタクっちゃおう」ということになり、タクシーで八方へ。 八方温泉で降ろしてもらい、温泉につかったあと、コーヒー牛乳をゴクっとやって、うどんをズズッと。

コーヒー牛乳は 松田乳業のもので「富より健康」というコピーが書かれている。うむ、名言。名言は調味料のようにおいしさを引き立てるのだろうか。特別にありがたく感じた。うどんはつるつるの喉越し。店の人に聞くと、うどんに温泉成分が練りこんであるらしい。そってどうなんだろうと思ったが、おいしいから、まあいいか。

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短かったけど、たくさんの思い出が詰まった白馬を後にし、東京まで帰ってきてしまったのでした。

政治のしくみをアップデートすることをあきらめない!『ポリネコ』開発者、岩田崇さんをゲストに迎えたSOW!政治 vol.21

「選挙にはなるべく行くようにしてるけど、自分の思いがちゃんと政策に反映されている実感、ないんだよなぁ〜」
 
私も含め、多くの方が抱いているにちがいないそんなモヤモヤを、テクノロジーで解決すべくチャレンジしている方がいます。それが、ハンマーバードの岩田崇さんです。
 
岩田さんは主権在民の社会を政治で実現するため、コンセプト『ポリネコ(Political Needs Coordination)』を開発。市民が主体的に社会課題と向き合い、政策、そして政治家とのマッチングにより意思決定を可視化する取り組みをされています。先日行われたSOW!政治のvol.21では、そんな岩田崇さんをゲストにお迎えしました。

 

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ダチョウ肉のソーセージもご用意したモグモグタイムのあと、まずはレクチャー。今の政治をめぐるコミュニケーションの問題点と、それを解決するために開発された『ポリネコ』について、栃木県の塩谷町で実際に活用されている事例も交えて詳しくお話しいただきました。

 

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これだけ技術が進歩し、世の中も変化しているのに、選挙をベースとした意思決定の仕組みはずっと変わらないままって、やっぱおかしいよね。むしろ、無力感、無関心の芽を育ててるんじゃないかという疑念すら浮かびます。国政レベルではなかなか難しいと思いますが、地方レベルで、ポリネコのようなシステムが広まっていけばよいなぁ。

 

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レクチャーのあとは、実際にポリネコ的なことをやってみよう、というワークショップ。3人くらいのグループに分かれ、まずは参加者それぞれが気になる社会課題をリストアップ。テーブルに並んだ課題の中から、3つをグループ内で絞ります。そして、それぞれについて何が問題で、どうしていったらよいかを話し合います。そして、それを実現できる日本の姿を予測する、というワークショップです。
 
私がいたグループでピックアップした社会課題と、解決されたイメージは以下。
 
・教育…学びたい人が学びたいように学べる教育
・選挙…住んでいるところにしばられず、政策本意で合意形成できる選挙
・税金…多くの人が納得いく再分配が行われる税制
 
それを実現できる日本のイメージは、
「多様性があり、奥の人が納得できる。一方で、政策をお任せにできず、ポジティブな意味での自己責任が増す社会」
ということになりました。

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このワークショップを通じて感じたことは、「政治」と言うと遠いけれど、要は生きていく上での課題を社会のしくみを通じて解決していく方法なのだということ。その一方で、日々なにかと忙しく過ごす中で、じっくりと自分をめぐる社会のあり方について考えたりすることがないことに気づかされました。また、選挙のあと、議員の活動をカンタンにモニタリングできたりしたらなぁ、なんてことも考えました。
 
てなかんじで、ふだんじっくり考えたり、思うところを気軽に話したりできない政治というものについて、立場や知識の多い少ない関係なくフランクに話せる場、SOW!政治、またやります。
 
次回7月17日(水)に開かれるvol.22は、SOW!政治の原点である「モグモグしながらモヤモヤを語ろう」がテーマ。参院選の前ということで、政局についての話もよし、ソーセージをひたすら食べまくるのもよし。ざっくばらんにみんなで話せればと思っています。ただし、まずは人の話に耳を傾けて、いろんな意見を味わうというテーブルマナーは守っていただきますよ。
 
みなさんと SOW!政治でお話できるのを楽しみにしております!
 
Sow!政治 vol.22「モグモグしながらモヤモヤを語ろう」
▼日時
7月17日(水)19:30~22:00


▼場所
社員食堂ラボ
 http://shineshokudo.com/
▼費用
2,000円
詳細はこちら

かつてのシリアの幸せを思わずにいられないマクルーベの美味しさ。シリア難民のゲストを迎えたSOW!政治 vol.18

バター1キロ、米3,5キロ、牛乳5キロ、牛ミンチ2キロ…。ものすごい量の食材を集めたイベント会場に来てくれたのは、シリア難民のナーゼムさんとヤーセルさん、そしてシリア支援団体ピース・オブ・シリア代表の中野貴行さん。

ダイナミックなのは食材だけではありませんでした。シリアにいたころは高級レストランでシェフを務めていたというナーゼムさんは、息子のヤーセルさんに手伝ってもらいながら、見事な手さばきであっという間に大人数分の料理を完成させてくれました。

 

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ソーセージをつまみながら政治をカジュアルに語る場として続けている「SOW!政治」ですが、vol.18はシリアスペシャルということで、ハラールに抵触する豚を使ったソーセージ抜きに。そのかわり、手作りのシリア料理たっぷり、というかたちで開催したのです。

ふるまっていただいた料理は、バターで炒めた牛のひき肉とお米をナスの茹で汁で炊いたごはんに、揚げなすとナッツ類をトッピングした「マクルーベ」と、やさしい甘さのライスプディング

 

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ドーンと盛られた料理を前に、まずはみんなで「いただきます」。ナーゼムさん、ヤーセルさん、そして中野さんを交えておいしくいただきながら、お互いに時ご紹介をしたあと、中野さんから自らの体験と、ピース・オブ・シリアの活動についてお話いただきました。

中野さんがシリアで過ごしたのは、2008年から2010年の間。当時のシリアは、日本よりずっと治安がよく、自然も豊かで、幸せな国だったそうです。医療や教育は無料で、イスラム教の人もキリスト教の人も平和に共存。いまでは信じられませんが、世界で一番難民を受け入れる国でした。

人々のおもてなしの心もハンパなく、中野さんは向こうにいる間、お腹が空いたことがなかったというほど。たとえば、喉が渇いて水が欲しいといったら、お茶していけ、となり、ご飯を食べていけ、となり、泊まっていけ、ということもしばしば。中野さんが滞在していた町が田舎のこじんまりしたところだったというのもありますが、シリア全体に、イスラム教に根ざしたやさしい心遣いがあふれていたそうです。

そんな平和が、2011年の内戦で一変。中野さんは、内戦の前と後のシリアを伝えるため、そして、これからのシリアを担う子どもたちをサポートするためにピース・オブ・シリアを立ち上げられました。中野さんの突き動かすのは、世界平和への思いということはもちろんありますが、何よりシリアの人たちが大好き」という気持ちだそうです。

中野さんに続いて、いまは明治大学で学ぶヤーセルさんから、シリアで起こったことについてお話を聞きました。シリアで内戦につながる対立がはじまったのは、チュニジアで「アラブの春」が起きた後だそうです。

シリアは1970年からアサド政権による独裁がはじまり、その体制は親子二代にわたって今も続いています。長く続く独裁で、政府とコネのある人間だけがいい仕事につき、いい暮らしができる傾向に。能力があるのにコネがない人は、国を出ることもあります。また、言論の自由がなく、言いたいことが言えない重苦しい空気もありました。1981年に起きた政府による虐殺事件も、重苦しい記憶として残っているそうです。

そんな社会に対して不満を持つ多くの国民が、アラブの春を見て「自分たちも社会を変えたい」と、非暴力のデモを起こし始めます。はじめは平和なデモだったのですが、アサド政権は武器を持ってデモを制圧。身内が殺されるようになると、反体制派の方も武器を持つようになり、内戦状態になったそうです。

教育や医療の無償化など、シリアの厚い福祉を支えていたのは、化石燃料や鉱物などの豊かな資源でした。内戦がはじまると、その富を狙ってロシアやアメリカといった大国やイスラム国などがシリアに介入するようになり、泥沼化し、大量の難民を生み出すようになってしまいました。

これまでも中東では、大国に刃向かった国の指導者は殺され、言いなりになる政権が生き延びる傾向がありました。ヤーセムさんは、アサド政権がしぶとく残っている背景には大国の影があると言います。

内戦は収束する方向に向かっていますが、激しい内戦の生々しい痛みがあるため、世界中に散らばった国民同士は連帯できないままでいます。様々な情報が飛び交い、誰を信用していいかわからない状況があるからです。難民として生きるのは辛いため、「外国でゆっくり死ぬより、シリアで空爆されてすぐ死にたい」というシリア人もいるほど。

ヤーセルさんは、母と妹ととともに、親戚のつてを頼りに日本に難民としてやってきました。日本は難民にはとても厳しい国です。難民申請をして半年は銀行口座も持てず、働けません。携帯電話も持てないので、孤立しがちです。日本の難民認定はわずか0.3%。認定される基準も不明確で、来てしまった難民は支援する姿勢のヨーロッパと違い、難民が国に戻るのがどんなに厳しいか理解しているのか疑問を感じるそうです。

難民申請が通ったヤーセムさんに呼び寄せられて日本にきたナーゼムさんは、日本に来た時はエキサイティングな気持ちでいっぱいだったそうです。レストランシェフの腕を生かしてホテルなどですぐに仕事に就けるだろうと思っていたからです。ところが、まず日本語が話せないということと、日本語で書かれたマニュアルにのっとった決まった作業が求められるため、なかなか働き口が見つかりません。先の見えない状況が不安そうなナーゼムさんでした。

そんな状況を打開しようと、ヤーセルさんはナーゼムさんがずっと働けるような飲食店をつくりたいと考えています。まずは日本人にもなじみやすくカジュアルなフムスのサンドイッチなどを提供するスタンドなどから始めたいという夢を持って、勉強をされています。

夢への一歩として、先日は日本の起業家のサポートで、青山で期間限定のレストランを開いたナーゼムさん。とても好評だったので、12月に銀座でまた開く予定だそうです。マクルーベもライスプディングもとてもおいしかったのでぜひ行ってみようと思います。念願のお店をオープンして、ナーゼムさん、ヤーセムさんのご家族が日本で末長く幸せに過ごせるといいですね。

私はシリア難民のおふたり、そして中野さんのお話を聞いて、他人事ではないと改めて思いました。平和な日常は、当たり前のものではありません。また、自分の国の政治には、外国の思惑や経済の影響が大きく関わってきます。身近なところから対立や争いの芽に敏感でいること、そして世界の動きを知る努力をすることが大切なのだとしみじみ思わされたのでした。

世界の動きを知る上では、命を張って真実を見る目となってくれるジャーナリストのみなさんには心から敬意を払いたいと思います。私はフォト・ジャーナリズム雑誌の「DAYS JAPAN」を定期購読しているのですが、実は、シリア内戦が起こってからその報道があまりにもシビアで、ページから目を背けがちでした。でもこれからは、勇気と現地への想像力を持って、読もうと思います。いつか平和を取り戻したシリアを訪れてみたいです。

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RELEASE;に会いました

但馬武さんのご案内で、「RELEASE; 東京胎動」というイベントに参加しました。いままで関西を拠点に社会課題の解決に取り組んできた非営利型プロデュースカンパニーであるRELEASE;が、東京でも活動の場を広げていきたい、ということで開かれたこのイベント。WEBサイトを見たり人から聞いたりしただけではわからないRELEASE;の思想やスタンスを、代表の桜井肖典さんと風間美穂さんから、じっくり聴ける貴重な機会となりました。

RELEASE;を際立たせているのは、なにより、社会課題への向き合い方。課題の解決というとどうしてもネガティブな要素に目が向きがちで、またそこに向き合うことで消耗しがちなところもあります。ところがRELEASE;は、「人間は本来光である」という考え方がベースにあり、課題の奥にある「願い」にフォーカスし、それを実現することに取り組んでいるのです。さらに、コサンルティングに終わらず、可能性をかたちとして見えるところまでを提案し、プロデュースします。

クライアントからの課題をそのまま受け取るのではなく、課題の奥にある意図や、自分たちが本気でつくりたいと思う未来のヴィジョンをかたちにする。新しいものをつくるために、いま持っているものも手放し、いったんフリーな状態にする、という仕事の姿勢は、「RELEASE;」というカンパニーのネーミングの由来にもなっています。

解決のフェーズでも、いままでのビジネスのかたちにはこだわりません。たとえばいま社会課題解決ビジネスの分野で注目されているSDGs。本来は共創のための枠組みなのに、既存のビジネス環境がベースになっていることで、競争のためのタグづけになってしまっています。何を解決するか、だけでなく、どう解決するかが、サステイナビリティを左右するのですね。

そもそもを疑う。たとえば、「農業がしたいんです」という相談の場合、「農」とは何か、なぜ「業」なのか、というところから疑い、本来の願いを実現するための企画をつくっていく。チーム編成に関しても、まず仕事ありきではありません。いっしょにやりたいと思えるメンバーでチームを構成し、仕事になれば仕事にしていくというかたちが多いそうです。

この独特なチーム、組織づくりの背景には、桜井さんの痛い経験があります。かつて、自分がつくった会社に自分が苦しめられたそうです。人のために組織があるのに、組織が人を苦しめるようになる。周囲の期待に応えないといけない、成果を出さないといけない、弱みを見せてはいけない。組織を維持し、大きくしていくためのプレッシャーが、苦しみとなるのですね。組織があるから人がいるのではなく、人がいるから組織になっている。そんな形で成り立っているのがRELEASE;なのです。

いま不安とわだかまりと緊張でガチガチな日本の首都、東京を、RELEASE;がどうやって解き放ってくれるのか。期待せずにはいられません。

おいしい手作りソーセージの条件は?SOW!政治 vol.15「民主主義の条件」

ソーセージをつまみながら政治を味わうイベント「SOW!政治」。3月10日に開いたvol.15は、ホリデースペシャルということで、手作りソーセージづくりから始まりました。

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手作りは今回で2回目。ミンチをねりねりし、ソーセージメーカーで羊腸に、詰め、グツグツゆでます。前回はゆでるところで羊腸に穴が開き、ミンチが飛び出すこともあったのですが、今回はゆでる温度に気を遣うことでなんとかすべて脱腸せずに仕上げることに成功SOW!政治は回を重ねることにメンバーの対話のスキルを磨いてきていますが、ソーセージづくりの技術も向上しているようです。

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ソーセージをつくっている間にすっかり打ち解けた気分になり、できたソーセージをモグモグする時間もおしゃべりが弾みます。お腹が満たされたあと、いよいよ本題のActive Book Dialog(ABD)に。前回に引き続き、ひとつの本を参加者で分けて読み、プレゼンで内容をシェアし、対話するという読書法で政治について学んでいきます。

 

今回の課題図書は砂原庸介さんの「民主主義の条件」。前回の池上彰さんの本は政治のしくみ全体についてわかりやすく説明する内容でしたが、本書は国民の意思を社会に反映させるための政党と選挙のしくみにフォーカスしています。世界各国、そしてこれまでとの比較によって、いま日本の民主主義が置かれている問題をあぶり出すかたちになっているので、短時間で読みこなすのはなかなか大変です。ところが、それぞれの人の個性がにじみ出る各章のプレゼンを聞くことで、ひとりで読むにはややハードルが高い内容にも興味が高まるところは、ABDならではだと思いました。

 

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イベントのあと、ひとりで本を読んでおさらいをしたのですが、ああ、これはあの人が言っていたあれだ、みたいな感じで記憶がよみがえり、本の内容が立体的に頭に入ってきたような気がします。

 

次回のSOW!政治は、5/14(月)。政治について話すときにありがちな、意見のちがう人どうしでの対話のコツを学ぼう、ということで、平田オリザさんの「わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か」をみんなで読んで、話します。ぜひご参加くださいね!

自分とは?生とは?死とは?重いテーマを軽く語る先生の2時間。自由学園「地球市民教育フォーラム」養老孟司さん講演

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「地球とそこに住むすべてのいのちの持続可能性」を共通テーマにしている自由学園の「地球市民教育フォーラム」、第8回のゲスト講師は養老孟司さんでした。そこで語られた内容を、忘備録として残しておきます。

 

中等部、高等部、最高学部の学生たちを前にしていたこともあり、次世代に向けてのメッセージでもありながら、「生きる」という世代を問わず向き合わざるを得ないテーマについての講演となりました。

 

「自分」って?

 

「自分」をさかのぼってみると、元はたった0.2mmの卵。それが大人になると50,60kgになったりする。食べたものが「自分」になる。成長する過程で、体の中の細胞は、古いものから新しいものに入れ替わっていく。7年でぜんぶ入れ替わる。中身はまったく違うものなのに、頭は「自分」だと思っている。人だって、社会だって、実態は「入れ替わっている」。そのことに日本人が気づいたのは平安時代平家物語では「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」、方丈記では鴨長明により「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず〜」と書かれている。鴨川という川はずっとあるけれども、流れている水は変わり続けているということ。

 

環境とはなにか。定義は、「自分を取り巻くもの」。「自分」と「環境」は対になっている。つまり、環境と自分を切り離して考える傾向がある。例えば名前。名前というものは、自分のためではなく、社会の都合、他人のためにある。ラオスの田舎には、村の名前がない。なぜなら、外から人がくることはないから。

 

「自分」という意識がないと家に帰れない、ナビで言うと矢印みたいなもの。脳には空間を認識する部位がある。体験談によると、そこが壊れると「自分が水のようになって広がってく」ようになるそうだ。ナビで言うと、矢印がなくなって、地図そのものになるような感覚。宇宙にいてもそういう感覚になる人がいる。空間認識能力がなくなって、世界、宇宙とひとつになったような感覚になる。

 

「自分」という意識は、起きているときだけ働く。では、「意識」とは。意識というのは秩序。なので、意識してデタラメ、ランダムはできない。でいないからサイコロがある。意識をもつ人がつくる世界は秩序立っていく。自然の法則として、あるところに秩序ができれば、別のところに無秩序ができなければいけない。秩序を維持するにはエネルギーがいる。つまり、エネルギーがないと文明は維持できない。

 

「死」とは?

 

進化とは何か。0.2mmの卵をつないでいくこと。トカゲ、恐竜、人間といろいろな動物が出てきたけど、結局、つながっているのは卵。その繰り返し。それを勝手に断つことができるのは人間だけ。勝手につながりを切ってしまうのは人間の傲慢。

 

生物は、順繰りで生きて、死ぬ。死んでも自分は困らない。困るのは周り。どんな生き物も、何かしら貸し借りをつくってお互い様で生きている。「自分」のことばかり考えると、自然に死ぬよりも、死を自分で決めたいと思ってしまう。でも「自分」というのは自分だけで生きているわけではなく、色んな人の思いや支えを受けて生きている。だからこそ、勝手に終わらせてはいけない。

 

「AI」と人間

 

AIは社会を変えるか。すでに変わっている。たとえば、「医者は患者ではなく、パソコン画面ばかり見ている」というクレームがずいぶん前からある。銀行では、本人がいるのに本人確認の資料が求められる。人間が情報しか扱わなくなっている。人間がいらなくなっている。それを象徴するのが銀行のリストラ。ノイズを扱わない時代になっている。同じフロアにいる人が声をかけずにメールでやりとりしたり、電話が嫌がられたり。

 

合理的、効率的、経済的、というが、突き詰めるとノイズだらけの人間は不必要ということになる。このまま進むと、自分で電源を入れたり切ったりできるコンピューターが出てくる。どこかで歯止めを考えないといけない。遺伝子をいじれる技術が出てきているが、そのうち人間をいじる人が出てくる。人間の遺伝子操作について、ヨーロッパは禁止、アメリカは規制がある。日本はアメリカだから規制をつくるだろう。中国は何の動きもない。

 

意味のある世界にどっぷり浸かって生きているから、人生の意味なんてものを考えてしまう。人生に意味はあるのか、という問い自体が間違っている。人間はとかく意味のあるものしかつくらないが、世界は意味のないもので満ちている。山にでも行ってみるといい。意味のないものだらけだ。

 

自分が実感できない「事実」は疑ってみたほうがいい。情報や常識には嘘が混じっているときがある。信じないベースには戦争体験がある。「一億総玉砕」と言っていた大人たちが、戦争が終わった途端に「戦争放棄」と言うようになった。戦前からの教科書は間違っているからと、ほとんどのページにスミを入れた。世の中の常識なんてすぐに変わってしまう。 自分をつくってくれる作物を育てる意義は大きい。目を凝らす、ほどよく肥料をやる、失敗してもやる。

 

農業を通して、努力、根性、辛抱が身につく。今の子どもは、昔の1年生にできた辛抱が、6年生になってようやくできる。しかし、努力、根性、辛抱はあくまでも結果。それをつけさせることを目的にしてはうまくいかない。共同体の中で、人と協力しあうことで、ひとりでに身につく、というのがいい。